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好きな人の膜に包まれたい
私は彼と1、2週間に一回くらいのペースで彼に会っている。
恋愛って何?とか彼氏って何?とかいろいろ考えたことがあるけど、
その答えが少しだけわかったので書いてみる。
彼といるとふわふわした気持ちになったり、家族にも見せない自分になったり。
自分でも知らない自分になったりする。
それはまるで彼が私の頭から足の先まで、全身に布団のシーツのような透明の膜をかけてくれるからだ。
その膜の中にいるとき、
なんとなく心地良くて、眠くなってくる。
私はありのままの自分になることができたり、時には自分が知らない自分に戸惑ったり悩んだりすることもある。
そして一緒にいる時間が終わり、バイバイした後、その膜の外に出ることになる。
膜の外は日常。
日常生活の中に戻ると膜の中にいた時との温度感にまた、私は戸惑う。
時々日常の中で物凄く辛い事や、受け入れ難いことが起こる。どっと疲れたりもする。
そういう時、彼の膜に入りたいと思う。包まれたい。
そしてまたその膜に入れた時、私はふわふわする。癒される。疲れが吹っ飛んだりする。
果たしてその膜の正体はなんなんだろう。
オーラ?空気?温度感?
時々漫画やドラマ、電車の中でも
周りのことが見えていないようなラブラブカップルを見かける。
きっと膜の中で、お互いを癒しあっているんだと思う。
自分は自分の日常からその膜の中の2人を見ているのではないか。
なんだか蚊帳の外のような感覚さえある。
膜の中と外は温度が違うんだ。
蚊帳の外の、蚊帳という名の膜の中にいる状態が『恋愛』なんじゃないか?
時々、毎日会ってる時もある。そんな時は彼の膜の供給が追いつかず、破れたりもして。
癒しどころか、互いのイライラが募ってきたりもする。
膜は時々入るから特別な効果がある気がしている。
同棲したり結婚したりした場合、
彼の膜は日常の中にいつの間にか溶けていく気がする。透明だから見えなくて誰も気づかない。
溶け切った時、人は逃げる先の膜を失ってしまう。
だからまた、膜の中に入りたくて探したくなる。
それが『浮気』と呼ばれるものなのか?
膜が日常に溶けた人生って、嫌だな。
膜を残したまま、日常の中でパートナーと共存共生することは無理なのか?
部屋を別にしたり、自分の時間をお互い確保したりってやっぱり一生必要なのかもしれない。膜を失わないための努力ができるといいな。
彼の幕から出た時、私はいつも思う。
『あぁー、日常、寒いなー、膜の中はあったかかったなー』って。
だから私は今日も日常の中で、一緒に見た『特別な日常』の写真を見返し、思い出す。
彼が私が寒くないようにとかけてくれる布団の優しさを。