たまに嫌いで大好きな夫と過ごす、休日の喧嘩
どうしてだろう。
夫のことが大好きで結婚したのに、ひどく嫌いになる時がある。
相手に対して愛も憎も生まれるのが結婚なのだとしたら、
私はまさに結婚を謳歌している。
今日、また喧嘩をした。わかってる。私が悪かった。でも、一滴一滴コップに溜まったストレスみたいな液体が、ついに淵からこぼれ出してしまった。
こうなることはわかっていたのに、やっぱり私はストレスの発散が苦手だ。
涙がぼろぼろぼろぼろ止まらなくなって、もう疲れたと思った。
もう限界だと思った。
今までにもこうなることがあったから、もう離婚でも仕方ないと思った。
夫に優しい言葉をかけてほしいと願うのも、またその言葉に縋るのも間違っていることがわかっていたし、そうするのも怖かった。
だからもう泣きながら、今の気持ちを伝えることしかできなかった。
確かなのは、ここを去るときはひとりであるということ。ふたりでこの地に来たけれど、私の事情でここにいられないと思うのであれば、私ひとりで去ることになる。それは悲しいことじゃない。勇気はいるかもしれないけれど、きっとそれは自然なことだ。そんなことを考えていたら、いつの間にか机に突っ伏して眠っていた。
目が覚めた後、頭はぼーっとして、まだ目の奥が悲しかった。
でも、2人で外に出て、お隣さんがいて、こんにちはと挨拶をした。お隣さんのお母さんと、娘ちゃん。娘ちゃんに夫が手を振って、私も手を振った。恥ずかしそうに笑っていた。かわいかった。
お母さんの髪色が明るく素敵な色になっていて、「あの色だったっけ?」と夫が少し笑って私に言って、「そう、この前から」と答えた私も自然と笑顔になっていて、目の奥の悲しみがいなくなっていくのがわかった。
ずっとこうして笑いたかっただけなのかもしれない。
2人でご飯を食べた。行きたかったお店の、食べたかったハンバーガー。
お店はとても素敵な雰囲気で、ハンバーガーもボリュームたっぷりで美味しかった。ふわふわのバンズが、甘くてとろけた。お肉はガッツリジューシーで、お腹がたっぷりといっぱいになった。ここに来ることができて良かったと思った。
やっぱり1人じゃなくて、夫とここに来られて良かったと思った。
2人の時間が嬉しかった。また来たい。次は別のメニューを食べる。あと、自家製のジンジャエールも。
帰り道、夏の始まりみたいな湿った匂いを嗅ぎながら、さっきの出来事を思い出していた。
私は大泣きしながら「貴重な休日を、2人で過ごしたかった」と言った。
ひどく馬鹿げているように聞こえるが、あの時の私は真剣に悲しかった。
そして夫が「これから先何十年も一緒にいるうちの1日だよ。今日が無理でもまた次に行けばいいだけのこと」と怒りながら言った。
これから何十年先も一緒。そういうつもりで隣にいてくれているんだと気がついた。
ついさっきまで、真剣に大嫌いだったのに。
こうして今回の喧嘩は終了した。
なんだかとっても疲れる1日だった。