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愛、幻想、人生の悲哀

XXXさんはとても素敵だ。僕はXXXさんを愛している。僕はXXXさんに甘えたい。そう思わざるをえない。君がいると、世界が鮮やかに輝く。なんてね。率直に言うなら、僕は君が欲しい。そうでなければ……。僕は君が欲しい。ただ欲しい。それ以上のことではない。僕は君に嫌われたくない。XXXさん、僕をどうか愛してください。僕は君がいないといけないんだ。僕は君に何でもする。そうでなければ、まず僕は君を愛するに値しないと思うんだ。僕が君に対して傲慢であり続けることはできない。僕は君が欲しくて欲しくてたまらない。だけど、それは僕の勝手な思いだ。僕は君の意思に委ねられなければならない。君が望まないことを僕が望むことができるだろうか。君が大切だから、僕の欲望は諦めなければならないこともあるだろう。それは悲痛なことだけど、僕は君を大切にしないわけにはいかない。

……悲痛?その言葉では表しきれていない。自分の欲望が叶わないものであるなら、僕はどうするのだろう?どうもこうも、どうしようもないんじゃない?欲望が叶わない。それだけ。それだけ?まるで世界の終わりみたいじゃないか。僕はXXXさんを自分のものにして、愛し合うという夢を見ていたのか?それが幻想であるのなら、僕はどうすればいいんだ?現実的でない?そんな形容詞が存在していたとは。欲望の終着点がないというのなら、僕はどこへ向かうんだ?……どこでもない、持続があるだけか?それじゃあ世界が終わらないじゃないか。僕自身が完結しない。欲望が叶わないという現実を、一体僕はどうやって肯定して生きていくんだ?……僕は残酷な現実にようやく直面したというのか。駄目だ。ハッピーエンドなんて存在できないのか。ハッピーエンド?そんなものは夢物語にすぎない。僕は幻想の中に自分を閉じ込めて死へ向かいたかった。夢は希望だ。その希望なくして、僕は生きられるのだろうか?その夢は、君に拒絶されたらそこで終わりだ。確かな希望を与えてくれたその夢は、脆くて、そして見えないものなのかもしれない。確かな希望どころではない。生きる希望が胸に注がれたんだ。それは輝きだった。それがなければ、僕はどうやって生きていくんだ。空っぽじゃないか。でも、もとから空っぽなのだけれど。いや、しかし、空っぽでない可能性、輝きのジュースを得られたのは、その希望があったからなんだ。何もないプレーンに、君は光をもたらしたのだから。……僕は何を言ってるんだ。僕の命を肯定してくれたその輝きを忘れて生きなければならないというのか。僕は、それがなければ生きていられなかった。君が助けてくれた。君は僕の救世主だ。僕は君の光に包まれて酔っていたかった。そうでなければ生きる価値がないとすら思えた。

……僕の欲望は叶わないのかな?それは絶望じゃない。停止した世界のようだ。幻想ではない現実の世界。そうでなければならない世界。ハッピーエンドは存在しない。ひたすらビターエンド。……終わりじゃない。終われない。……おい、本当にそれが僕の結論なのか?うーん、僕にハッピーエンドを見せてくれ、教えてくれ。どうやったら、ご都合主義的じゃない幻想的じゃないハッピーエンドがありうるのか。……いや、わかっているだろ?現実的に「これから」という、正面へ続く道を見据えりゃあいいんじゃないの?まだ終わってはいない。始まったばかり。そう考える他にあるかい?ロマン主義に別れを告げて、現実的な可能的未来へ歩みを進めるほかはないんじゃない?それはロマン的観点からすれば地を這うようなものかもしれないが、それは当たり前の世界なんだ。この別れを僕は昔から予感していたのだろう。それは悲しみ、人生の悲哀だった。幻想と現実のギャップは、僕にとって人生の悲哀だった。おかしいだろう?僕は、なんというか、不可能的な世界を求めていたのだから。この世界はもちろん残酷だ。そうでない可能性が1ミリでもあると思うことは儚い幻想なのかもしれない。現実的に生きることに苦しみを伴うのは逃れようのないことだ。ああ、生きるのは面倒くさいな。夢は見れないのか?もう一度幻想の世界に行きたいと望むのか?もはや、僕は選ぶことができないようにも思える。空っぽで、僕は空虚な砂地を歩くのか。それは悲観か。これですよ。僕はこの地点から始めなければならないんだ。まさか、僕がスタート地点に文句を言うのだろうか?うむ、生きるということはこういうことだ。ふざけるな!納得なんかありはしない。人生を受容する?そんなことはできない。でも、そう言いながら、もうまさに今、受容しているじゃないか。苦渋、それしかない。これが、現実がビターな理由だ。

何の話だったか。読み苦しい文章を読ませてしまったことをお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。……って本当に思ってる?自分の「これを読め!」っていう傲慢さを否定することはできない。すでに僕にはその意味で罪がある。謝罪がどれほど意味のあるものなのか、僕には分からない気がする。何言ってんだ。
さあて、明日も元気に生きるぞ~(?)
みんなもポケモンゲットじゃぞ~



後書き:やっぱり僕はXXXさんを愛してる。その愛の幻想が僕には必要だ。……おいおい。変わんないな。修行ぞ!修行!マッスルトレーニングぞ!
ポケモンマスターに、俺はなる!!!




後書きの後書き:言うべきか、言うまいか……。この文章を書いていたとき、それと見返して今改めて思うのが、私はアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の映画「叛逆の物語」における登場人物「暁美ほむら」の心情と自分の心情を重ねて見ている節がある。ただならぬシンクロニシティを覚えているわけだが、この場では語りきれないな。
ところで、私がこの文章を書く意味は、自分の思いを言語化することや感情の整理、人生の見直しにある。それはほんの些細なことではあるが、私は自分がそのちょっとした試みをしてくれたことを嬉しく思う。ありがとう。そして、相変わらず私はあまり推敲をせずに文章を公開してしまうのだけど、でも、いつまでも完全を求めているわけにはいかないし、不完全な自分に受け入れなければならないときもあるだろうと思った。でも、精進していきたいとは思っている。もっと何かうまい形で整えられた形で公開できたらいいのに、いつか……と思っている。

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