#1 虚構かもしれない世界をどう「自分事」するか
先週、ポーランドに旅行した際に旧アウシュヴィッツ強制収容所を訪れた。僕はその場がどのような意味を持つのかを知っていたし、そこに訪れる他の人々も僕と同じだっただろう。非人道的日常が送られたかつての地に自らが赴き、当時の凄惨さを肌で感じることは、過去の過ちを未来に再投影しないことを社会の中の誰かではなく個人が強く誓い願うことに繋がる。このように、社会で起きる問題を他人事ではなく自分事として捉えることは、無条件に社会善であると思われている。この点は、一定の限度を許容したうえで、僕も