地方から進学するということについてのひとつの体験
女子は東京など都会の大学に進学するのが難しい、進路の選択肢自体が最初から限定されてしまっているという話題を、今朝目にしました。事実だと思います。ただ、男子でもこういうケースがあった、今はなくなっていてほしい(けどどうだろう?)、という個人的な体験を記録しておこうと思います。
地方に行くと、今でも「本家」とされる家の長男は「跡取り」「跡継ぎ」などと呼ばれることがあります。私は四国出身ですが、『外の大学に進学させると戻ってこないので駄目だ』という意見が、私が進学するころ(20年あまり前)にはありました。実際、県外の大学に進学するとほとんどの人は戻ってこないわけです。
跡取りなどと言っても、私の父は地方公務員ですし、当然ながら継ぐ家業があるわけでもありません。しかし私にも、父と同じように「先祖祀り」をしてほしいというのが父の願いなのです。
それに加えて、ちょうどその頃、私の父は体調が芳しくなく、入退院を繰り返しているような状態でした。主治医からも、いつ最悪のことが起きるかわからないと言われていました。『県外に進学しても良いが、卒業したら戻ってくるように。』『首都圏は遠いから駄目だ。近畿圏までにしろ。』これが父からの条件でした。
拒否することもできたと思います。首都圏と言っても、何かあれば飛行機に乗ってすぐ戻ってこれるわけですし、そういう意味では近畿圏と大差ありません。学費はいらないから好きにさせてほしいと言うことだってできたはずです。ただ、私は弱っている父にそれを言うことはできませんでした。
その後紆余曲折あって私は出身地とは別の地方で結婚し、就職します。私もまた、県外に進学した結果帰ってこなかったわけです。父の体調もその頃には落ち着いており、『約束どおりすぐ戻ってこい』と強く主張されることはありませんでした。
それからしばらく経過しました。私は30歳を過ぎていました。父の体力が急速に低下しはじめていることを、帰省する度に私は感じるようになりました。もう長くはないのかもしれない…。
ちょうどその頃、東京の本社からこっちに来ないか、という打診がありました。協力会社の社員として職場にいた(いわゆるプロパーではなかった)私にとって、キャリア形成を考えれば「渡りに船」と言ってよい話です。
悩んだ末、私はそのオファーを断り、退職して地元に帰るという決断をします。誰かから帰ってきてほしいと言われたわけではありません。しかし卒業後戻ってくると言ったのに戻らなかったことは、やはりどこかで気になっていました。最後くらい、父の願いを叶えても良いかもしれない、そのようなことを考えました。
出身地に戻ってからの私には様々な出来事がありました。生々しくなるので今はまだ、書くことができません。悪いことばかりだったわけではなく、良いこともありました。ただ、今の私は「戻ってくるべきでなかった」と考えています。
私は決して、何かを強制されたわけではありません。しかし呪縛から逃れることはできませんでした。
だから私から若い世代の人たちに伝えたいことは、『自由に生きてください』ということです。人間、あらゆる事柄から完全に自由になることはできません。だからこそ、自由を追い求めてください。息苦しい場所からは離れてください。年長世代の言うことは、役に立つ場合もありますが、従う必要はありません。私がここで書いたことについても同じです。「ふ~ん」で良いのです。
あなた自身の人生を、精一杯生きてほしいのです。