きいろ

あれもこれも全部食べたい。 食べることが楽しみで仕方がない夫婦2人暮らしのささやかな日常や思い出などを書いています。

きいろ

あれもこれも全部食べたい。 食べることが楽しみで仕方がない夫婦2人暮らしのささやかな日常や思い出などを書いています。

最近の記事

ふじみこうじ

昨日も食べた。 明日も食べる。 もちろん今日も食べるし、なんだったら今は帰宅の電車の中なので、お家に着いたら食べる。 今日1日の〆のご飯を。 (はい、食べました) 食べることが大好きなのに、今それを心から楽しめていない。 味はするし、ちゃんとおいしいと感じてもいるのに、これまでみたいな幸せな気持ちにはなれんのだ。 なんでだ。 あの喜びを返せ。 自分の世話、夫のこと、家事、仕事のあれこれ。 わたしのやる気の許容範囲を超えている。 ビヨンド平穏。 夫の病気は先生の思惑通り

    • 沸いては消える

      ほんのり芽生えたやる気を、逃してはなるまい!と引っ掴みにいく。 そしてぽつぽつと書くものの、ほんのりのやる気はほんのりでしかなく、少し書いたら、なんかちゃう。と放り出してしまう。 書きたいことはいろいろあるんだけどな。 大好きで憧れているお友達とランチしたこととか、あまりハッピーではない仕事のこと、そのせいか食べることが幸せとイコールにならなくなってきたこと、そして夫の緊急入院とか。 形にしてしまいたいのに、形にできない認識できてない、そういうあれこれが心の中に散らばって

      • 穴の向こうに見えるもの

        ドーナツをすごく食べた冬だった。 炭水化物と揚げ物が大好きなので、ドーナツはそりゃもう魅惑の食べ物。 この冬は大雨でも風が強く極寒であっても、食べたいと思えばてくてく出かけていた。 (時間がたくさんあるって素晴らしかったなぁ) ドーナツにはあれこれ思い出もある。 寡黙な父は職人で忙しく、休みは週1で徹夜もけっこうあった。それなのに貴重な休みにも早くから起きて、今日はどこ行こか?という人だった。(健在です) よく覚えている頻度が高かった目的地は、母が好きな京都でのお寺めぐ

        • 思いあがりと逃げたい気持ち 逃げないけど

          ※マイナスな気持ちを書いています。 はじまる、はじまる。 新しい仕事が。 ひとつめに応募したところで拾ってもらえて、最小限の就職活動だったことがありがたい。 二次面接でやっつけられた。 にこやかな方だったし、褒めてくださったこともあったけど、なんだか怖かった。 わたしのこれまでの働き方や生き方もあまりお好みではなかったような印象がした。 途中から、もうあかんわ。早よ帰りたい。と変な汗をかいていた。 終わったらランチしようと思っていたけれど、そんな気持ちになれず、とぼと

          愛をあらわせ

          食べさせたいって、愛だなぁと思う。 食べることが好きでしょうがなくて、1日中食べ物のことばかり考えている。 母は毎朝5時に起きて6時過ぎに家を出て仕事へ向かう。そしてお昼頃帰ってくる。 去年の夏に帰省した時、わたしが到着するその日はいつもよりさらに30分も早く起きて、4年ぶりに一緒に食べるご飯の下準備をしてから仕事に向かったそう。おかげで久しぶりの実家に着いて早々のお昼ご飯は味しみしみの夏野菜マリネのお蕎麦が食べられた。あれはおいしかったなぁー。 どうして前夜に準備しないの

          愛をあらわせ

          煮物の腕

          雪平鍋を手に入れました。 ずっと憧れていた雪平鍋。 20年くらい前に実家を出た時に母が取手が取れるティファールをプレゼントしてくれて、それからずっとずっと、その大小2つの鍋で煮たり炒めたり、ご飯を作ってきました。よく働いてくれたなぁ。 さすがにくたびれて、夏くらいから買い換えようと思いつつ、いやまだ使えるしな….と決心がつかなくて。無機物に愛着わかしすぎる傾向がある。 年が明けてから雪平鍋を買おうと本気で決心して、真剣に物色。ティファールの大サイズに近い大きさのやつが欲

          煮物の腕

          暮らし方を考える

          モンブランは栗のケーキの名前ではなく、あの形状のケーキ全般をそう呼ぶそうです。 知らなんだ。 今年のケーキはじめはモンブランでした。 モンブラン好きじゃない。 モンブランって山の中身はほぼクリームなイメージ。クリームが主体だと食べ切る前に軽くえずくみたいになって上手く飲み込めなくなることがある。 小さい頃も、大人になってからも、甘いものがあまり好きじゃなかった。ケーキは半分くらい食べると頭が痛くなって、ひとつ全部を食べきれなかった。 今は人並みにわくわくと食べるようになっ

          暮らし方を考える

          昇華

          漫才師 和牛が解散を発表したのは12月12日の夜でした。 少し前から、もしかして…の不安はあったのだけれど、発表されるとしたらここかな?のタイミングでは何事もなく。考えすぎ!なんて、ちょっとほっとしたりして。しかしその緩んだタイミングでガツンとそのニュースはやってきました。 大阪で生まれ育ち、新喜劇を見ながらお昼ご飯を食べる子供時代を経てきました。 人並みにお笑いが好きだったけれど、劇場に通うようになったのは割と最近で5年くらい前のこと。 生で見るお笑いはよい。 とてもよい

          めぐりあわせ

          未練たっぷりなのである。 今月末で仕事を辞めることになった。 希望退職で。 希望退職に応募したのだから、自分の決断なのだけれど、その決断は迫られたものなんだもん。 こんな事態にならなければ、もっとずっと今の職場でこのメンバーで働いていたかった。 しっかりどっしりしてるのに適度にゆるく、頼りになる上司がいて、穏やかで気遣いが素晴らしくしかもかなり愉快な同僚が2人。わたしを含めてこの4人は6年くらい一緒に働いてきた。それぞれの得意分野が違って、それぞれがその方面で活躍できて、

          めぐりあわせ

          姫、召し上がる

          好きなものいっぱい食べるとあからさまに元気でます。 4年ぶりに大阪の実家に帰りました。 わたしは都内でたくさんの人と接する仕事で、父は肺に持病がある上、流行病に罹患してなかなか大変だったこともあり、そんなこんなで4年という時間が。離れて暮らすってこういうことだ。 出発の4日前。 母が唐突に 『ヨーグルトはどれ食べるん?』 と連絡してきました。 『どれって。ヨーグルトそんなに食べへんけど…』 『あれ、そうなんか。ジャムはいるなぁ?何ジャムがええん?』 『ジャムも基本食べへん

          姫、召し上がる

          カシュクールボレロ

          カシュクールボレロ。 ナイロンリップのカシュクールボレロ。 買っちゃった…。 買っちゃったーーー! めちゃくちゃにかわいいのです。 お店の大きな鏡にうつるわたし、似合っちゃってたんだよなぁ。ぐふふふふふふふ。 新作のメルマガで見て、なんだこれかわいい…と静かに大興奮。どれどれ、ワンサイズ?着れるかな?大丈夫なら買っちゃう?うえーい!と息巻いてお店にゆき、よいサイズ感に痺れ、色で迷ったけれど無事長く大切にしたい1着を手に入れました。 お店の方がかわいくて楽しくて、お買い物の

          カシュクールボレロ

          夫よ

          『ねぇ、あのおばあちゃんちょっと心配。』 夫がそういって歩いて来た道を振り返っている。 その視線の先を見ると、強い日差しの中ふらふらとした足取りでゆっくり歩くおばあさんの小さく丸い背中。両手には杖とレジ袋。万が一よろけたら顔か頭からいくかもしれない…。 と思っている間に夫はすでにおばあさんに駆け寄っていた。『次パン屋さんでしょ、すぐ追いつくから先に行ってて!』とわたしに言いながら。 夫が駆け出したその瞬間、おばあさんは生垣の縁に座り込んでしまった。 パン屋さんに行ってる

          raindrops on roses

          『まもなく〇駅でございます。 本日もご乗車ありがとうございました。 お気をつけていってらっしゃいませ。 お帰りのご利用もお待ちいたしております。』 なんだかわくわくした今朝の電車アナウンス。 やんちゃ風な男子高校生5人が 『sing,sing a song,  …やべ、なんだっけ?』 カーペンターズのそこばかり口ずさんでいたこと。 外でのスキンシップが苦手な夫が、駅前のロータリーでわたしをやわらかく抱きしめた時。 (健康診断のマンモグラフィで至急精密検査となり、とりあえず

          raindrops on roses

          きっとまた泣く

          長く所有していたものを捨てる時泣いてしまう。 初めてのスーツケースとか。 ワーホリに行く時に買ってもらった大きめのやつ、その後も何度も一緒に旅をしたんだよなぁ。 ちょっと傷がついてたり、どこかの空港のきれいに剥がせなかったシールの跡があったり。 少し紫が混ざったような青色の年季の入ったやつ。 小さめのスーツケースに買い替えた後も手放せなくてしばらく持っていた。 いよいよ使わないな。と覚悟を決めて粗大ゴミの手続きをして、その収集日当日。 収集場所に運びつつ、こっそり泣いた。

          きっとまた泣く

          食べて生きてゆく

          食べることは生きること。 いろんな人がそう話すのを見て聞いて、本当にその通りだなぁってしみじみと思います。 食べなきゃ死んじゃうということだけではなく。 誰だったか、海外のシェフの方が、 『食べることは、人生でありアイデンティティである。あなたがどんな人でありどんな風に生きるのかを決定づける、けっこうシリアスなイベントなのだ。』 とおっしゃっていて、ふむ!と納得したのです。 アロマセラピストの学校での解剖生理の授業。 先生はアーユルベーダや東洋医学に明るく、とてもユニー

          食べて生きてゆく

          じゅうおくえん

          少し前に母からこんな問いがありました。 『お母さんな、昨日寝られへんかってん。なんでかって言うたらな、10億円何に使うか考えててん。ほんなら興奮してきて寝られへんかってん。あのな、日本中旅行しまくることにしてん。観光しておいしいもん食べて、高級旅館やらホテルやら泊まりまくるねん。連泊するねん。死ぬまでに使い切るねん。お父さんがそんなんしてたら人生狂うぞて言うけど、この歳やしもう狂てもええねん。きいろは何に使う?』 潔いですね、母上。 そして親子してすでに当たっている感じで

          じゅうおくえん