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大正時代の遊郭、夜鷹について…
大正時代の遊郭と夜鷹は、当時の日本社会における売春制度とそれに関わる文化を反映しています。
**遊郭**(ゆうかく)は、売春が合法的に行われていた特定の区域で、特に江戸時代から大正時代にかけて大きな役割を果たしました。遊郭は、主に花街と呼ばれ、正式に許可された売春施設であり、芸者や遊女たちが客をもてなす場所でした。大正時代の遊郭は、近代化の進展とともに徐々に変化を遂げつつありましたが、伝統的な要素を色濃く残していました。遊郭に来る客は、豪華な衣装を着た遊女に接待され、飲食や娯楽を楽しみながら、最終的に性的なサービスを受けることが一般的でした。
一方、**夜鷹**(よたか)は、遊郭の外で働く売春婦を指し、合法な遊郭とは異なり、街角や橋の下、路地などで客をとっていました。夜に活動することから「夜鷹」と呼ばれ、都市部では貧困層や生活に困窮した女性が多く従事していました。彼女たちは、遊郭での接待や華やかさとは異なり、路上で直接交渉し、短時間のサービスを提供していました。夜鷹の存在は、社会的に低く見られ、しばしば差別の対象となりましたが、都市の下層階級における重要な収入源でもありました。
大正時代には、遊郭と夜鷹のような売春はまだ合法でしたが、社会的には変革が進み、女性の権利や社会改革が叫ばれ始めた時代でもありました。そのため、売春に対する見方や規制も次第に厳しくなっていきました。
とくに、遊郭上がりの人や年配者、高齢者が夜鷹だったと言われています。夜鷹は、病気持ちが多かったことで知られています。
今でいう東横あたりの立チンポ…いやいや、立ちんぼのことです。お風呂を数日入ってない子もいるので、注意⚠️が必要。
立ちんぼは、江戸の昔から令和までずっと続いてます。
夫の収入がない場合、妻が夜な夜な夜鷹をしに出かけていたそうです。一回400円くらいです。お蕎麦の代金くらいです。
だから、夜鷹の出没する辺りには、蕎麦の屋台が出ていたそうです。
むしろ、働かないで妻の夜鷹の収入で生計を立てていたといっても過言ではありません。ただ、それだけではなく、身体が不自由になってしまった夫の代わりに夜鷹をしていた妻も多くいたそうです。