アロマアセクが確定した
本日、いや先ほど日付けが変わったが、ディスコードを使って当事者の方々と話した。
呼んでほしい名前とセクシャルを含めた自己紹介のあと、好きな話をゆるく雑談するやつだ。
私はいつも周りの空気を皆が楽しい方に引っ張っていきたくて、話に無自覚な脚色を散りばめる(いわゆる問題ない程度の話の盛り方。みんなやるよね?)。今回も多分それが働いて、共感力を第一に話していたつもりだ。
だがしかし、それを発揮してもなお恋愛が分かっていなかった。
私が恋愛に言及するごとに変な空気になっちゃってたかもしれない。そういう自己意識の位置確認をする場所だから、変な空気をすり合わせていくことがかえって良い気はするのだが。
あと私の疑問はやっぱり哲学に向くらしい。発言に対して「考えたことなかった」を2回言われた。場所の役に立てたなら本望。
結論として、参加して良かった。
私はほんの少し前まで自分を普通だと思っていたし、自分がアロマアセクという無性愛の極限を名乗って良いのかしらとドギマギしていた。
しかし今回のお喋り会でしっかり自分をアロマアセクだと認識して、多分これからのイベントで言葉が濁る予感はなくなった。
似た感覚の人たちと話が出来て安心したのもあるが、ハイライトがあるならこれだ。
アロマアセクには、友情と恋愛の違いが分からないという問題がよくついてまわる。社会の感覚とどう折り合いをつけて立ち回っていくかを検討しているとき、メンバーの方がこんなエピソードを話してくれた。
「レズビアンバーで恋人と友人の違いについて聞いたら、そのカウンターに居た方が、感覚の違いについて話してくれました。
『恋人はなんでも曝け出せて、友人は背伸びして接してしまう』
私にはこれが1番腑に落ちました。」
音声認識の表示が私以外点灯して「あ〜」が流れた。
他は納得していたけど、私は逆の認識だった。
私は友人にこそ弱みを晒して、恋人にはみんなカッコつけてると思っていた。確かにね、恋愛の行き着く先が家族なら、なんでも見せるのは恋人だよな。
裸を見せるのも「あなたにだけ特別」って意識で、だからそれ自体を嬉しがってるんだ。
でもさでもさ。
私は恥ずかしくない訳じゃないけど、友達相手なら一緒に風呂入れるし、男女別なく裸を見せてもなんともないよ。病院だって抵抗ないよ。
それに対して、みんな恋人には背伸びして会ってない?〇〇にダサいところ見せらんねえぜ、とかは私の学習の偏り?
きゅぅ。。
きゅうりの鳴き声が出てしまう。。
私は学んできたはずなのに、みんなと同じものが分かっていると思って生きてきたのに、その集大成がずれていた衝撃!
私、頑張ったんだけどな。(以下暫く苦労語り)
恋愛の漫画も「ちいさな恋のものがたり」流行ったから読んだし。
ドラマやアイドルは知らなかったけど、友達の嬉しそうな語りはその表情を受け止めるのが好きだったから沢山聴いた。
韓流フィーバーど真ん中だったから、グループの誰がタイプ?とか写真とかグッズ見せられて答えて、相手の好きな人の良さも深掘りした。
あのクラス、学校の〇〇先輩がカッコいいから見にいこうぜ、とか、あそこに座ってる人タイプだから話しかけてみようよ、とかも「えー!気になる!」って一緒に凸った。
キスもした。性行為もした。告白もした。された。
恋バナに入る情報の交換条件を満たすために知らない人に告白をしたり、学芸会で結婚式の真似事をすることになって泣いたりした。
AVも見た。自慰もした。友達の推しのエロさを語った。
ファッションとは何か?に出てくるエロスの定義が「入れ物の砂糖が半分溢れているような不完全性」だったので、本当に美しい人体はエロくないんだと学んだ。
Twitterで推しにエロをぶつけている環境に配慮して、思っていないことを沢山言って、人を喜ばせるためのアカウントになったら垢消しを繰り返した。
頑張った、頑張った、頑張った。
私は十分頑張ったよ。
もう頑張らなくても良いんじゃないかな。
まだ頑張らないといけないんですか。
もし「誰も好きにならないってことは愛がないってこと?」とか、「経験値が足りないんだよ」とかいう偏見を超えて、アロマアセクの正しい意味と認識が広まったら。
「私アロアセだから分からない!」の後にごめんねを付けなくて良くなったら!!
そこまでいったら。
私は頑張ってしまったけど、私の後に続くこのままなら無自覚に苦しむ人たちがありのまま過ごせるようになるのかな。
とりあえず、私は「経験しなきゃ出来ないかどうかなんて分からないし?」という観念で、無理にキスとか性行為をした後遺症で完徹3日目の5キロ減でございます。
多分性行為したのがベッドの上だったせいで、寝る姿勢をとるのがストレスになってるんだよな。
エスカレーターに乗ってても信号待ちでも頭痛と震えとか止まらないし。こりゃ予約に数ヶ月とかいう精神科か?
直感で無理ならいつでもNOって言ってくださいね。そういう選択肢や文化を作っていきましょうね。
誰を好きになるかより、好きにならないひとの体や精神を守ることの方が大切な気がします。青少年の恋愛は少し美化されすぎです。
家庭がサラリーマンの働く産業社会の基礎になっていた時代はもう崩壊しているので、自由恋愛による家庭獲得を義務にしなくても生産を続けられるよう、家庭に集中している社会的役割を分散させてはどうですか。
これまで日本社会が疎かにしてきた核家族以外のロールモデル形成を、多様性を念頭においた性教育から始めることは出来ませんか。
まあ、専門家じゃないけど。
世界で1番難しい課題だとしても、多様性を尊重しつづける人間でありたいし、まずは自分を大切にしたいです。
あと、そのノリで悩ましき元彼にカムアした。理解は期待していないが、気になれば知って損はないし、セクシャルがハッキリしたなら言っておくのが筋だと思ったのだ。
まさか私がアロマアセクなんて、ね。
追記
元彼とは(お互いの勘違いが解けて)円満に友達になり、恋人は無理だけどこれからも色々な場所に遊びに行く予定です。初めてかつ唯一のカムア友達として、なんでも赤裸々に話しつつ他人同士の距離感で居ようとなりました。なお「これから告白されたら、相手の人間性を好きになれるまでの友達期間を設ける!」という私の発明に対して「それ相手が待てないと思うよ」と言われ「その提案で絶交になった人も居たけど、それでも一緒に居てくれる人だけが残ってくれれば良い」と返しました。
そういう考え方もある、の連続だね。いいね。
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