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一晩寝かせて悟った話

恋愛、悟っちゃった。

この世に恋愛感情はなく、性欲と友情の間なのだと思ってきた……だから性欲のない私には友情しかないんだと。それでも、どこかでまだ良い人がいないだけとか、経験を積めば慣れてくると考えてしまうことがあった。

同じアロマンティックの人にはアスペルガー持ちなど、人の感情の機敏が分からなかったり、共感が難しいという身体の理由がある人がいる。同時にHSPの診断を貰っていて、気疲れしたり、接触が苦手だったり。

私だって人と過ごせば気疲れする。でも、精神的なテストを受けて何の診断も下りたことがない。私がアロマンティックだと納得して良い理由すらどこにもなく、(今恋愛が分からないからアロマ、それで良いんだ)と思っていた。
 だからいつか後悔するかもしれない将来に向けて、このままで居ていいと思えず、ずっと苦しかった。

最近できた私の友達に、私と性行為だけしておいて、続けるのは無理だと言ったらパッと逃げた奴がいる。ヤリ目ってやつだ。結果的にそうなったのであって、相手の女性経験が乏しかっただけだった。
 なぜ彼が逃げたかというと、性欲の対象にしていた何かがいきなり自分と同じ言語を喋ったから混乱したようだ。

ここにおいて、「性欲」というのは相手の人格を認めた場合には起こり得ないと言える。相手に気持ちがある前提で気遣うのではなく、自分を主人公にした世界で振る舞うものなのだ。

性欲を「知らない人間同士の関係スタートスイッチ」と表する場合があるが、確かにそうなのかもしれない。それは相手が自分にとって相応しいかどうか、どんな夢を見せてくれるかなどを判断基準に押される。

愛されたい、認められたい、過去に得られなかったものを楽に満たしたい……。
 愛を与える側も受け取る側も、自分のために承認欲求を満たすことになる。それは彼らにとっては生きるために大事なことらしい。だから本能だなんて言うのだ。

私が分かるのはここまでだが、まあ相手を人だと思わないから自分の肥やしに使ってやろうと思うし、肥やしが自分のもとを逃げ出すと1等身の現実に戻りたくなくて取り戻そうとするし、肥やしが人格を表そうものなら夢から覚めてしまうだろう。ある差はその肥やしに対する器の大小だけだ。

私は初対面の人と会う時、まずその人の内部を知りたいと思う。
肥やしとしてみるならその人が何を与えてくれるかを気にするところだが、私はその人そのものを知りたい。知ったら次は、その人と時間を過ごすことでお互いに色々な景色や感情を取り入れ、変わっていく様子を知りたい。

同じ人生を生きていく仲間として、気心知れた隣人は居ればいるほど頼りになる。ビジネスで名刺を交換して、いつでも必要な時に力になり合えることは、相手にとっても良いはずだ。もちろん相手が凄すぎるときは私が寄生しているみたいになるが、それを喜んでくれる人もいる。

私は自分のために人と繋がっている。
それは確かだが、何より相手が人間であることを醍醐味にしている。思いやりを尽くすし、足りないなりの頭も使う。だから気疲れして満足だ。

自分と全く違う感覚の人がどれだけいるかは分かっているし、今更何を見せられても驚かない気がする。だから正しく相手を尊重するために、最初に相手のなんたるかを知りたいと思う。

このスタンスを変える気はない。わざと相手より自分を優先する私なんて、将来でっかく後悔するに決まっている。
 相手を人間らしく扱うことが私の自己実現になり、自ら承認欲求を満たしている。

こういう心理構造をしているから、私は性欲が持てないし、恋愛が出来ない。なにより初対面の人間と出会う理由から、相手のことを知りたいという好奇心なのだ。
好奇心→気遣う→承認欲求
このサイクルで自家発電している。

なんか分析出来てしまって、恋愛が自分に出来ない理由も悟ってしまった。私は私の感性を分かる人と生きていこうと思う。

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