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唯一無二のアジア初のハリウッドのアクションスターパート2

唯一無二のアジア初のハリウッドのアクションスター
パート1に続き後編です。

死去

1973年7月20日、リーは『死亡遊戯』で共演予定の女優、ベティ·ティン·ペイの香港の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤(アスピリンを含むEquagesic )を飲んでベッドに横になった。しかし、そのまま昏睡状態に陥ったため、ティン·ペイはレイモンド·チョウを呼びそのままクィーン·エリザベス病院へ搬送されたが、死亡が確認された。
32歳没。

公式な死因は脳浮腫である。
司法解剖の結果、微量の大麻が検出された。
検死報告によると、リーの脳は1,400gから1,575g(13%の増加)まで膨らんでおり、頭蓋内圧の亢進により脳幹が圧迫されて死に至ったと考えられている。

リーは、『燃えよ!ドラゴン』の撮影約1ヶ月後の1973年5月10日、ゴールデン·ハーベストのスタジオで音声吹き込み中に昏倒して意識不明の重体に陥り、そのまま病院に運ばれ2時間後に回復するも入院し、13日には退院している。
その後、渡米し精密検査を受けるが結果は異常なしであったとされる。
脳浮腫が起きた原因は背中の古傷に、長年使っていた痛み止薬と、その晩に服用した頭痛薬の副作用といわれている。

一部で既にリーの脳にあった腫瘍にこれらの薬が作用して破裂を起こし脳浮腫になったという説もあるが、検死解剖では脳浮腫が確認されているのみで脳腫瘍ならびにその破裂による脳内出血の報告はない。

死因に関して紛糾したため、香港政庁は1973年9月に死因究明裁判を開いた。
同法廷書記長の藩健成によると、イギリス統治下にあった香港で出された正式な判決は「死因不明」であり、脳浮腫が起きた原因は確定されなかった。

葬儀は香港とシアトルで行なわれた。香港では数万人のファンが葬儀に参列し、シアトルのそにはリーの弟子だったジェームズ·コバーンやスティーブ·マックイーンも参列した。
遺体はシアトルのダウンタウン近くのレイクビュー墓地に埋葬された。

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