理工系教科書の素敵な序文1

 大学受験用の参考書でなければ、一般の方が気軽に手を出せるような本でもない、専門書。専門書なだけあって値段は張るが、とはいえその需要の無さから儲けのために出版されたわけでないことはなんとなく分かる。理工系の教科書ともなると、その内容の退屈さは筆舌に尽くしがたく、とことん利益のことを考えていないことが窺える。
 執筆にどのくらいの期間を要するのかは分からないが、最低限教科書の体を保っていなければならないのだから相当の労力を注ぐのだろう。そんな膨大な時間と労力を注ぎ、利益の見込めない教科書を出版する理由を、私たちは本の序文から知ることができる。

 未知への好奇心、知的探究心への共感、学びの快感、学問への憧れ。彼らのそれぞれの想いが込められた序文には、執筆当時の熱量が文字の形で、褪せることなく保存されている。

 学習に消極的な時、学習を諦めかけた時、私は序文を読んでモチベーションを保つことができた。その熱量を分かりたくて、同じ感動を味わいたくて、彼らが真剣にしている話を聴いてあげたくて私は学習を進めることができたのだ。大学の講義スライドに肉付けしただけのような教科書でない限り、序文にはそんな、人を夢中にさせる力がある。
 これから私が素敵だと思った序文を紹介するが、これは学問、教育への関心が発酵して初めて感じ取れる物である気がしていて、もしくは私が苦しい学習を納得させるために編み出した術のような物かもしれなくて、誰もが琴線に触れる訳ではないだろうことに注意されたい。
 それでは紹介する。

情報理論改定2版 今井秀樹 

 もとより、情報理論は万能ではない。情報の伝達、蓄積、処理に関するすべての問題がこれで解決するというものではないのである。情報理論にあまりにも多くを期待し、やがて失望し、去っていいった技術者も、決して少なくはない。しかし、情報理論は、その限界を知り、適切に用いるなら、きわめて有用なものである。
 情報理論は、美しい理論体系を持っている。しかし、それは単なる数学理論ではない。情報伝達、蓄積の多くの分野で実際に用いられ、情報化社会の進展に伴って、その応用範囲をさらに拡げつつある工学理論でもある。
(中略)
 さて、情報理論は、その応用が拡がりつつあるとはいえ、まだ用いるべきところに用いられていない例がきわめて多い。本書を通して、情報理論を深く理解し、それを様々な分野に応用していただければ、著者として、最大の喜びとするところである。

情報理論改定2版 今井秀樹

 上に引用した通り、情報理論とは情報・通信を数学的に論じる学問であり、浅く調べたところによると学問の始まりは1948年と、比較的若い学問といえる。登場初期、情報理論は強力で革新的な枠組みを生み出したが、情報・通信技術が重要視され、それに応じて議論されてきたという事実からも分かる通り、情報理論の成長は技術的な、物質的な制約に影響を受ける。現実との距離が近いがゆえに、現実的な不都合を考慮しなければならない。確かに、理論上では理想的な情報伝達技術が存在するのだろう。しかし解決すべき問題は現実に存在する。情報理論から去っていった技術者たちは、そのような、理論と現実のギャップに失望したのだろう。理想的でない、現実と折り合いをつけて議論を進める必要がある以上、どこかで解決できない問題は生じる。序文の通り情報理論は万能ではない。
 しかし、やはり情報科学を学んでいくうえで、情報理論という学問は今でも必須であり、また量子コンピュータや人工知能(AI)といった新しい技術の進展が、理論の深化や新しい視点を提供し、未だに情報理論は成長している。これはひとえに、情報理論から去っていく技術者がいる中、情報理論という学問に可能性を感じ、現実との距離を測りながら研鑽を重ねた技術者がいたからである。
 この本の序文は、著者や今の技術者たちが、彼らの熱を引き継いでいること、また後の技術者にもそれを望んでいること、そして情報理論の活躍を信じていることを感じさせ、そんな先達が紡いできた太い流れを学ぶための動機付けの役割を担っている。




 

 これは私の深読みで、勉強するための詭弁なのかもしれないが、とにかく私はこのようにして学ぶことの意義を勝手に感じ取り、勝手に感動したりしている。それにしたって、膨大な労力と時間をかけてこの本を作ったのであろうから、利益を顧みていないのであれば、私が感じ取った想いもあながち無いこともないのかもしれない。

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