婦人科医師が婦人科の病気に罹った話(子宮筋腫編①)

こんにちは。
いつも情報をYouTubeやサイトから一方通行に得るばかりだったので、フローのバランスを取らなければと思い自分からも情報を発信することに致しました。

私は婦人科専門医歴20数年の更年期女医です。
最近は、様々な代替医療にも興味があり、精神科の薬を妊婦さんにとってもらいたくないという思いから、カウンセリングの勉強も始めております。
更年期にまつわる体験記はまた別日にまとめたいと思いますが、今回は若い時から長年私を苦しめてきた子宮筋腫について、語りたいと思います。

子宮筋腫は子宮にできる原因不明の良性の腫瘤で、成人女性の4,5人に1人が持っていると言われ、月経があるうちは女性ホルモンの作用で大きくなり、閉経すると小さくなります。

よく質問されますが、乳がんや生活習慣病などとは違い、食事や運動で防いだりする事ができません。
完治させる薬はなく、子宮を温存するためには筋腫のみを切除する子宮筋腫核出術か、ホルモン治療による対症療法(完治を目指すものではなく症状を和らげようとするもの)を行うことが多いです。

ご自身に筋腫があるかどうか知りたい方は、経膣超音波検査ですぐわかりますので、健康診断や人間ドッグの際にオプションで経膣超音波検査を付けていただくと良いです。市区町村の子宮頸がん検診を施設検診(婦人科のクリニックや病院)で受けると、保険または自費で追加が可能だったり、中にはエコーをサービスでやってくれるというところもありますので、予約の際に問い合わせてみるといいと思います。

私が高校生の時、母が子宮筋腫で近くの婦人科病院で開腹による子宮全摘術を受けました。聞くところによると母方の祖母も筋腫で手術したらしく、これは“けを引いている”(=遺伝?)と娘心に思ったものです。
母は既に3人産んでおり、40才を超えたあたりでした。大量のレバー状の塊が出る過多月経に悩み、ヘモグロビン8g/dL台の慢性貧血があり、爪はスプーン上に変形し変色していました。
手術後当日に、私が母に付き添って病室に泊ることになりました。点滴が無くなったら看護師さんを呼ぶ係でした。夜に寝落ちてしまって点滴が全部下へ落ちてしまって、『しまった!』と思い急いで看護師さんを呼んだり(静脈圧があるので空気が入ってしまうことはないのだが)、痛い,痛いとうなされるので看護師さんを呼ぶと小さい100ccの生理食塩水に痛み止め(ソセゴン?)が入ったものを点滴に繋いでいってくれましたが、それで寝てくれるのは一瞬で、またすぐ起きて痛い、痛いとうなされるので参りました。
今のような硬膜外麻酔など無かった頃です。痛いと騒ぐのでまた看護師さんを呼ぶと、さっきやったばかりだからあと3時間は出来ない、などと言われ、でも母は痛がるのでお腹の傷の上をそーっとさすってあげることしか出来ませんでした。看護師さんに聞くと、それも傷に悪いからやっちゃダメと言われましたが、痛い、痛いと苦しむ母に何もしないではいられず、そーっとそぉーっとさすってあげて次の痛み止めまで耐え、そうして一夜を明かしました。
後で聞くと、母はそれらの出来事は全く覚えていませんでした。

そういうわけで、私も筋腫になるかもしれないと思い、まめにエコー検査を受けていました。
そして、結婚して1人子供を授かり、婦人科医師として研修を積んでいた33歳の頃、仕事中の昼食時に突然の過多月経に見舞われました。月経2日目で大きめのパッドを使っていたから大丈夫かなと思っていましたが、自分では制御不能の断続的な大出血で、食事が終わって立ち上がったら白いズボンと白衣の裾が真っ赤になってしまっており、一緒に食事していた指導医だった男の先生も口あんぐりで固まってしまうような大惨事でした。その指導医は普段過多月経の患者さんを外来で診たり手術したりしていましたが、実際の過多月経がパッドから漏れた時どうなってしまうかを目の当たりにしてショックを受けておられたようでした。特に、勤務中で白衣を着ていたため、なおさら鮮血が目立ってしまっていました。
すぐさまロッカーで全て着替えて何食わぬ顔で外来に戻りました。この一回の大出血で、ヘモグロビンが12台から10台に下がりました。

そして、その時から母と同じ多発筋腫に悩まされる日々が始まりました。まず、スプレキュア®︎という点鼻薬で月経を止める治療を行いました。これは、やっていくうちに月経が止まり、筋腫が少し小さくなりますが、半年後に中止するとまた症状がぶり返し筋腫もまた大きくなり始めるというあまり意味を感じられない対症療法でした。閉経までの時間を稼ぐには良いかもしれませんが、まだ30代だったので、半年ごとに治療をしながらも筋腫はだんだん大きくなっていきました。
今だったら、ミレーナ®︎という黄体ホルモン徐放薬を子宮の中に入れる治療を選んでいたと思いますが、その頃はまだありませんでした。

(つづく)

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