18. 日本が独立自尊の国になるためにー挙証責任を知らずに戦わずして白旗を上げてしまった日本

挙証責任については一度説明しました(前稿No.14を参照してください)。大分前の東京オリンピック時の出来事です。

日本人の人気デザイナーの手がけた東京オリンピックの公式エンブレムが発表されたのが、平成27(2015)7月24日。

それから3日後に、ベルギーのリエージュ劇場のロゴデザインを手がけたオリビエ・ドビ氏は、東京五輪のエンブレムはリエージュ劇場のデザインと「似ているのではないか」と、

ドビ氏は国際オリンピック委員会(IOC)を相手取り、エンブレムの使用差し止めとそれを使った企業や公的機関に5万ユーロ(約690万円)の損害賠償金を支払わせるよう求めてベルギーの裁判所に提訴しました。

いわゆる盗用疑惑です。つまり日本人デザイナーがそのロゴを「盗用」したのではないか、という紛争が勃発したのです。

仕掛けたのは同劇場のロゴデザインを担当したベルギーのオリビエ・ドビ氏、受けて立つのは日本人佐野研二郎氏と日本の五輪組織委員会。

佐野氏はその「主張」を否定、7月28日には大会組織委員会の事務総長とロゴ選定の審査委員代表が打ち揃って記者会見を開き、疑惑を否定しました。

しかし、その後、オリビエ・ドビ氏のリエージュ劇場のロゴと日本人デザイナーの公式エンブレムと並べて見ると、似ているとか似ていない、という「事実」については誰でも意見を述べることが出来ますので、日本人の間で意見が沸騰したのです。

その結果、7月31日五輪関係機関のトップが集まる調整会議の開催が8月1日午後と決められました。

その日の午前、大会事務総長は、審査委員代表と佐野氏と緊急会議を開催しました。

そこで佐野氏は原案の模倣を否定しましたが、活用例のイメージ図についてネット上の写真の無許可流用を認め、作品の取下げを申し出ました。

同日午後6時大会組織委員会の事務総長は記者会見の席上、佐野氏のデザインした公式エンブレムの使用を撤回、新たなデザインを再公募すると発表しました。

ベルギー人デザイナーの仕掛けが7月24日、それに対する反撃が7月28日、無条件降伏と言うべきロゴ使用の白紙撤回の発表が9月1日、あっという間の敗戦です。

サッカーに譬えれば、オウンゴールで負けてしまったというべきでしょう。

今回の五輪エンブレムをめぐる闘いは、幕末・維新以後日本人は西欧列強の文物を受容して来た筈なのに、日本人は現在に至るも西洋人の思考パターンを理解していないのではないか、という日本人の一面が垣間見え興味を引くのです。

この五輪エンブレム論争で重要なのは「挙証責任」という考え方です。日本人はどうもこの挙証責任という考えが苦手のようなのです。

挙証責任とは、「事実」が黒白どちらか不明の場合に、その事実を主張する側が第三者を納得させるだけの証拠をあげて、その事実を証明しなければならない不利益を被るという負担のことです。その意味で、挙証責任は証明責任とも言われます(前稿No.14)。

挙証責任とは、「事実」が黒白どちらか不明の場合に、論理的に考えなければならないのです。その事実を主張する側が、黒白どちらかに、第三者を納得させるための証拠をあげて、その事実を証明しなければならない不利益を被るという負担のことです。

本件でいえば、使用差し止めと損害賠償請求をするためには、その前提として、それらの「権利」が発生していると考えなければなりません。

権利義務は、人間の五感の作用によっては感知できません。すなわち、「権利」は、触ったり、見たり、聴いたり、嗅いだり、味わってみたりすることが出来ないから、一定の「事実」の存否によって発生したり、消滅したりするように決められています。


事実が本当かどうか不明な場合に、その事実の存否不明の不利益、つまり事実を前提として権利が発生したり、消滅したりすることの利益・不利益をその当事者の一方に帰せしめる、これが「挙証責任」というものです。


だから、事実が存否不明の場合に挙証責任を負っている側は、一生懸命事実を証明しなければならない、すなわち、五官(眼・耳・鼻・舌・をもちい、人間の五感に訴えて、事実の存否を、第三者に認めさせなければならないのです。

証言や書証等といわれる「証拠」を五官で、人間の五感を刺激し、事実があるとかないとか認識させ、その権利を相手方に認めさせるのです。

これが「事実の証明」といわれるものです。物証も証言も同じ価値を持っています。証明できなかった場合は、証明責任(または挙証責任)を負担している側が負ける構造に法律自体が作られているのです。

だから「闘い」は、当事者が理性に訴えて、その「事実」を証明できるかどうか、に掛っているのです。

 ギリシャ側のデザイナーのつくったロゴに五輪エンブレムが似ているかどうかの「闘い」は、まずそのデザイナーに両者のどこが似ているのかを詳細に主張させた上で、その証拠がどこにあるかといえば良かったのです。

日本人デザイナーの「権利主張」(?!)は、「言い訳け」にしか聞こえず、権利主張の強いギリシャ人の「主張」にあっという間に負けてしまいました。


(つづく)

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伊藤博峰
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