42.日本が独立・自尊の国になるためにー腹切り問答と議員の免責特権(憲法第51条)

馬齢を重ねても、中学か高校で習い暗記した日本史の年号を思い出します。語呂合わせも馬鹿になりません。

1932年(昭和7年)の5.15事件は、「イクサになるか5.15」

1936年(昭和11年)の2.26事件は「ヒドクサムイ日2.26」はよく覚えています。

その年の1,936年(昭和11年)5月7日の斎藤隆夫議員(立憲民政党)の粛軍演説は寺内寿一陸軍大臣に対する質問演説です。

以下はウイキペディによる。

「演説では2.26事件を真正面から取り上げ、青年軍人の右傾化と軍人の政治介入を批判するとともに、5.15事件に対する軍の対応が事件の遠因となったのではないかと指摘した。青年軍人たちの視野はあまりに単純で、視野が狭く、問題が簡単に解決すると思っている。そしてこれまで何度もクーデター計画が発覚しているのに、軍当局は厳正に処罰しなかった。それが青年軍人たちが大事件を起こしたのだ」と訴えた。

「また軍人の横暴に対する国民の怒りについても触れた。それらが大きな声になっていないのは、言論の自由が拘束せられている今日の時代において、公然これを口にすることはできないからだ」と述べた。

「更に軍部批判にとどまらず、軍部にすり寄っていく政治家にも強烈な批判を浴びせ、政治家の中には軍部と結託し、自らの野心を遂げようとしている者がいる、それは政治家の恥辱であり、堕落である」と言ったのである。この演説は1時間25分に及んだ。

その後に続くのが、1937年(昭和12年)の帝国議会の衆議院での浜田国松と寺内陸軍大臣との「腹切り問答」。

浜田国松代議士(立憲政友会)は、議院において軍部の政治干渉を批判する演説を行いました。それを聞いた寺内陸相は、「軍を侮辱した感じのするお言葉ですが……」と反論した。

その反論を聴いた浜田代議士、2度目の登壇で「どこが軍を侮辱したのか事実を挙げなさい」と逆質問。寺内陸相は「侮辱をされたように聞こえた……」とトーンダウンした。

それでも浜田代議士は3度目の登壇(当時、1日に3回までしか登壇できなかった)で、「速記録を調べて、私が軍を侮辱する言葉があるなら割腹して君に謝罪する。なかったら君が割腹せよ」と迫った事件。

これが切腹問答とか腹切り問答と言われる事件です。

なかなか浜田代議士も寺内陸相もやりますね、問答に迫力があります。議場内の様子はどうだったのでしょうか。

斎藤隆夫(立憲民政党)は1936年の粛軍演説の後、国家総動員法案に関する質問演説において、国家総動員法の危険性を指摘しましたが、立憲政友会と立憲民政党の二大政党は、斎藤の主張を無視し全会一致で、国家総動員法を成立せしめたのです。

斎藤隆夫は1、940年(昭和15年)2月2日に(1、936年=昭和11年)の4年後に日中戦争(支那事変)に対する根本的な疑問と批判を提起して演説し、この演説により3月7日衆議院議員を除名されました。反軍演説と言われています。

その後大政翼賛会が設立され、1942年(昭和17年)4月30日に戦時下での唯一の国政選挙が行われました。一般的にこの選挙は「翼賛選挙」と言われています。大政翼賛会の推薦がなくとも斎藤は、当選しました。

明治憲法第52条、現行憲法第51条は議員の免責特権を規定しておりますが、今日の国会議員は国家の危機に際して、斎藤代議士や浜田代議士のように果敢に弁論をもって闘えるでしょうか?

後世の我々は、日本が戦争に負けたという事実を知っていますので、「たら、れば」の批判はいくらでもできます。

過去の事例をあれこれ批判するのは難しいですね。「お前だったらできたか?」と問われますから。理屈になってしまうのです。。

過去の事例の批判をする前にしなければならないのは、議員ならずとも国民にも、「軍事」のに関する知識があまりにもなさすぎるので、軍事知識を身に着けることです。

そう言わなければならない程、我々は戦後ぬるま湯に浸っていたのです。

(つづく)





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伊藤博峰
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