28.坐禅の功徳-日々(にちにち)是(これ)好日(こうにち)

禅問答というと、何を言っているのかチンプンカンプンの譬えです。
禅といえば、「悟り」を頭に浮かべます。
「悟り」というものは、何か「深淵そう(?)」に思われます。
我々は、悟りというと、何か特別なものではないか、と坐禅に励むわけです。

禅問答は公案ともいわれ、師匠が弟子を教化するために用いられます。
中国の唐の時代末期の雲門禅師が、弟子に禅問答を吹きかけました(碧巌録第6則)。
「お前に悟る以前のことは尋ねないでおこう、悟った後の心境を言ってみなさい」

弟子は何と答えたらよいのか分かりません。そこで、雲門禅師がその答えを言いました。その答えが、「日々是好日」という言葉です。

雨の日があれば好天気の日もある。地震災害、暴風雨等々、自然現象は人間の手には負えません。人間社会も同様です。良いこともあれば悪いこともあります。悲しいことも嬉しいこともないまぜにやって来ます。

人は誰しも、悲しみよりは嬉しいことを望み、悪いことよりも良いことを望みますが、悲しい時は悲しいまんま、嬉しい時は嬉しいまんま、に生きてゆくことができません。自惚れたり、落ち込んだりします。

例えば、絶大な権力を行使する国会議員は、当選すると人がどっと集まって来ますが、落選すると潮が引くように人が去ってゆきます。

有頂天になったり、悲憤慷慨することは不必要です。当選しても、落選しても、そのままに生きてゆくことが、「日々是好日」という悟りなのです.
(つづく)


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伊藤博峰
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