1.日本の契約法―予防法学とは何か?

皆さんは予防法学、という用語を聞いたことがありますか?紛争を「予防」するための「法学」なんてあるのだろうか?

紛争を予防できるのであれば、誰でもその法学を学ぼうとするに違いない。欧米流の法学を普及させるために言ったものであろうか、最近はあまり聞かれなくなったが、一時は良く言ったものだ。

欧米と日本とでは、氏も育ちも違うのだから、その地域の住民の流儀に従わない「法学」は、国民に浸透しない。

昭和60年4月(1、985年)に、野村総合研究所情報開発部から発行された同所編集にかかる「国際経営時代の法律武装-経営の視点でとらえた国際ビジネスの法務戦略」(ゴシック部分は引用者が付した)という本があるが、その「はじめに」にこう書かれている。

「企業が、本格的な国際時代をむかえている背景のひとつに貿易摩擦があり、それを回避するための海外進出が行われている……。

ただ、現地の企業経営は、米国などにみられるように多種・多様な法律と密接に関係している。万事、法律で解決しようとする国の場合、法律を無視した経営は、経営目標の重大な障害を発生させる原因になりかねない。」(ゴシック部分は引用者が付した)

同書は、
●わが国とは異なる行動様式(ビヘビアー)をもつ国、すなわち、「万事、法律で解決しようとする国」があることを前提に、日本人に向けて書かれているのである。

●そして、また注目したいのは、右書の題名の一部に、「法律武装」という言葉を入れた点だ。

この本は練達の国際渉外弁護士鈴木正頁氏が監修したものであり、同書の内容は、欧米の法律や事例の解説であるが、それらを知ること自体、「法律」をもって「武装」することだとしているのだ。

すなわちこの本の編著や監修に加わった国際問題に詳しい人達や弁護士は無意識のうちに日本国内と海外との法意識や法感情の義異を意識しているのである。

筆者の問題意識は、
①「日本は法律で解決する国ではないのか?」
②「その言っている法律とは何なのか?」ということである。

わが国は、「万事、法律で解決しようとする国」ではない。

イザヤ・ベンダサン氏の「法外の法」(日本人とユダヤ人・角川文庫)や会田雄教授の「『法』」より「心」(裁判官は絶対権威者か ボイス昭和58年10月号)
ということが罷り通る国なのである。

筆者(クリエーター)には、現在、日本社会がかなり欧米、とりわけアメリカの影響を受け、右のような日本人の法感情がわからなくなっているかのようにみえる。

今後、企業社会はどう変容するのだろうか。日本人の法意識や取引社会は、変わらざるを得ないだろうが、その際に、会社法や民法等の法律改正とどう向き合ってゆくかについて、われわれは対応を迫られる

外国人のコンプライアンス(法令順守)と日本人のそれとは、異なっており、その相違点を明らかにしなければ、スムースな取引関係を維持できない。

日本の社会が極めて、「平和」的な社会であり、「武力」を使って、奪ったり奪われたりすることをあまり好まないからである。

聖徳太子の17条憲法の第1条には、「和をもって貴しとする」とある。日本は「和」の世界だと言っても、唯それだけでは納まらない。

取引当事者間で利害が調整できなければ、最終的には訴訟(裁判)となる。法律や契約書、訴訟技術等を縦横無尽に駆使して戦わなければならないが、弁護士等の「戦さ人」の目的は和解(=示談)によって、又は全面勝訴し、相手方を倒して「和」の状態が現出する様に努力することである。

しかし、日本人は日本人、アメリカ人はアメリカ人である。アメリカの影響を受けて法改正がなされたからといっても、その場合に日本人の根底に前述の法意識や法感情が脈々と流れていることを理解しなければならない。
詳細は、読者諸賢がおのれの法意識や法感情について熟慮していただくことにしよう。

日本の社会が極めて、「平和」的な社会であり、「武力」を使って、奪ったり奪われたりすることをあまり好まないという事実は理解しておく必要がある。
 (つづく)



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伊藤博峰
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