4.坐禅の功徳―坐禅をしない政治家は考えられない
鏡清和尚が修行僧に尋ねた。
「門の外の音は何の音だ?」
僧が答えた。
「雨だれの音です」(碧巌録第46則)
これが正解なのだろうか?
政財官界人は、よくそのような訳の分からない禅問答(訳の分からない問答を禅問答とはよくも言ったものだ)を老師(禅の指導者)と一対一で行っていた。
彼らは、禅を通じて人格を練ったのである。
最近は、真剣に禅に参じる政財官界のエリートが少なくなったようだ。
筆者には、それが国会議員や官僚の劣化の原因の一つであると思われて仕方がない。
日本と西欧列強とでは社会のでき方が違うのだ。
禅僧は、「人間とは何か、人の生き死にとは何か」について我々を導いてくれた。理屈ではない。
経済的に豊かになれば良いというものではないのである。
政治家の手伝いを官僚がすることがある。
記者会見で、官房長官は(厚労省の官僚が)地元向けの挨拶分を作成したり、関係資料を提供したりしている事実があると明示したうえで、「『公務として対応することにただちに問題あるものとは考えない。正確な発信のためには必要』と述べた」と新聞記事にある(日経新聞2021.11.23付)。
この記事を読んだだけでは何のことを官房長官が言っているかが分からない(まさしく禅問答だ!)。
若手官僚は、国会議員からの依頼で地元向けのあいさつ文を作成したり、(自分が無駄と分かり切っている)資料を作らされたりすることに嫌悪があるようだ思わざるを得ない(と筆者は、官房長官の9/22の記者会見の記事をみてそう思った)。
読者諸賢は、今どき官僚が政策で国を動かしていると思われますか?
官僚の劣化、国会議員の劣化とか言われるのは、彼らに国を動かす「気概」とか「覚悟」がなくなった証左ではないのか。
足の痛いのを我慢して坐り、老師に提出した練りに練った(つもりの)解答にダメを出され、二進も三進も行かなくなって、「門の外の音は何の音だ?」という問いに答えられるようになる。
それで初めて「国を動かせる」ようになるのですよ!
高級官僚は難しい試験に合格して、やっと成れるのですから、多忙な官房長官の手を煩わせてはいけませんよ、鏡清和尚の問いかけの解答を考えた方がよっぽど、お国のためになります。(つづく)