27.坐禅の功徳―頭で考える西洋人

我々日本人は、「理屈を言わないでやってみろ」と言われて育った。しかし時代が変わり、人が変われば、教育や躾けの仕方も変わる。

現代では怒鳴ったり叱ったりすれば、直ぐにパワハラだとか、ブラック企業だ、とのレッテルを張られてしまう。

先人から受け継いできた技術や伝統を後世に伝える作法も、工夫しなければならないようだ。

接心という朝から晩まで坐禅に集中する坐禅会がある。
中川宗淵老師(著名な昭和の臨済宗の禅僧)が、ドイツでの接心中の出来事である。

「接心中、心の蓋が開いて過去の記憶や感情が発露するのか、叫び声を発する人、泣き出す人、ひたすら軌跡を待ち望む人、消灯後夢遊病者のように歩き続ける人など、日本の接心では見られない現象が起こった……頭で考える文明に育ったドイツ人にとって、呼吸を深くして無我になることは至難の業であるように思えた」(松下宗柏・白隠禅との出会い・教育評論社99頁)と報告されているとおり、言葉で育った人たちが、自我を捨てることは容易ではないのです。

中川老師がその都度臨機応変に指導されたことは言うまでもありません。
現象を言葉で説明する、つまり事細かに分析すれば分析するほど、真実に遠ざかります。
今の日本人は、いちいち言葉で説明し、言葉を重ねれば重ねるほど自家撞着の陥ってしまうことも稀ではありません。

頭で考える西洋人の主導してきた世界の政治、経済、社会情勢は行き詰まり、日本の未来に不安が漂っています。ことに安全保障体制です。内憂外患もいいとこです。

このような時には、頭で考えるのではなく、「不安」と一体となりこの難局を乗り切るに越したことはありません。
そのためには坐禅です。

日本にはまだまだ修行を積んだ禅僧の方々が数多居られます。
そろそろ「言葉で考える」思考法を止めて、坐禅をしてみたらいかがでしょう。
(つづく)

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伊藤博峰
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