38.坐禅の功徳―老後のことは、誰が考えるのか?

常盤恭佐(ときわきょうすけ)・今日子の若い世代夫婦のかいわです。

恭佐:老後の問題は、俺たちがどのように生きるか、という問題でしょう。
 俺たちは、大人になり、何か新しいことをやろうとすると、どうしてそんなことをするのか、とか何故するのか、何のためにするのか等々何かとうるさいよね

今日子:そうよね。
恭佐:しかし、精神的安定を得たい、健康でありたい、集中力をつけたい、仕事に成功したい、短気を直したい、落ち着きを得たい、失恋してもリストラにあっても生きる希望をな失くすようなことにはなりたくない、等々理屈なしでそのようになることを望んでいることが多いのではないと思わない?

今日子:世の中には、理屈なしで行っている行動の方が、多いのではないか、と言いたいのですか?
恭佐:そうです。
今日子:そうでもないと思うけど……
恭佐:どういうこと?

今日子:赤ちゃんのような子供のころから、おとぎ話や躾けを通じて人間としての、理屈付け、つまり人間としてこうあった方が良い、というように教えられてきているのじゃないかしら……

恭佐:ほう、お前さん、なかなか理論的じゃないか。
今日子:こう見えても、今、老後問題の研究家ですからね、ヘヘ……
恭佐:老後問題の研究家か!

今日子:あなた、芥川龍之介を読んだことがあるでしょう?
恭佐:あるけど……それが、どうかしたか?
今日子:芥川龍之介作・杜子春は、

「或る春の日暮れです。
唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を費い尽くして、その日の暮らしにも困る位、憐な身分になっているのです。」と始まります。

恭佐:うん、それで……

今日子:その杜子春の前に片目眇(すがめ)の老人が現れます。その老人の言うとおりにすると、大枚の黄金を得られたのです。杜子春が金持ちになると大勢の人達が集まって来ました、その金を使い尽くすと集まって来た人は一人去り二人去りして、皆去ってしまいました。

そこへ、件の老人がまた現れ、杜子春がまた金持ちになるように計らうのです。すると、杜子春の元にはまた人が集まり、また金銀を使い尽くすと人は去って行ってしまいます。貧乏になってしまった杜子春の前にまた老人が現れ、黄金のありかを教えようとしますが、杜子春は、その申し出でを断ります。

恭佐:そうか、俺たちは、子供の頃より、小説や遊び、大人の話を聞いて、人としての生き方を学んでいる、と言いたいのか?
今日子:そうよ。
恭佐:それで、杜子春はどうするのだっけ?

今日子:「人間は皆薄情です。私が大金持ちになった時には、世辞も追従もしますけれど、一旦貧乏になって御覧なさい。柔しい顔さえもして見せはしません。そんなことを考えると、たといもう一度大金持ちになったところが、何にもならないような気がするのです」
と断り、杜子春は、今度はその老人のもとで仙術の修業をしたい、と言いだします。

恭佐:うん、もうお金に拘らなくなったんだよね、仙人のようなお金を作りだす神通力を得たいと思って、仙術の修業をするのだったね。

今日子:そうです。その老人、つまり仙人は、杜子春の願いを快諾し、山奥深くへと連れて行って、絶壁の下に坐らせ、これからどんなことが起ころうとも声を出すでないぞ、一声でも発すれば仙人にはなれないぞ、と言い渡し、杜子春を岩の上に置き去りにします。

恭佐:それから……

今日子:黒雲が辺り一面をとざし、ピカピカピカッと、稲妻が光り、ゴロゴロゴロッと、雷が鳴り響きます。そこへ、ギラット、牙を剥いた虎や、メラメラメラッと舌から炎をはいた大蛇が杜子春に襲いかかります。杜子春の運命やいかに?

恭佐:お前、話がうまくなったな、講談調だよ、俺よりいいぞ。
今日子:煽て立ってダメよ!小学生の時、先生がそうやって、杜子春を読んで聞かせてくれたのよ。

恭佐:小学校の先生には、面白い先生がいたよね……
今日子:では続きをいくわね。
恭佐:いいぞ、女流講談師!

今日子:しかし、虎や大蛇が襲いかかっても、杜子春は、一声も発することなく坐り続けました。それでも声を出さないので、仙人は杜子春の魂を地獄の底へと落とすんです。そこには、世にも怖い閻魔大王や大勢の鬼共がいたのです。

恭佐:確か地獄に両親がいたんだよね。

今日子:今は痩せ馬に身を変えた父母が、鬼どもにビシッビシッと鞭打たれているのです。それでも、杜子春は口を開きません。すると、

「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰っても、言いたくないことは黙って御出で」
と微かな母親の声が聞こえました。

大金持ちになると寄って来、貧乏になると去っていってしまった世の中の人々と比べて、何という違いでしょう。杜子春は、仙術の修行中であることも忘れて、「お母さん!」と一言叫んでしまいました。

恭佐:それで、仙人になる夢は、破れたのだったね。

今日子:そうよ、杜子春は、大金持ちになることにも愛想がつきただろう、仙人になることも出来なかった、お前はこれからなにになったらいいと思うか、と仙人に問われるのよ。
恭佐:そうだったね。

今日子:「なにになっても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりです。」と答えてジ・エンドね。

恭佐:その物語って、老後にこうなりたいって思っても、そのようなことは、夢物語であるということを、言っているのじゃない?
今日子:そう言われてみるとそうね、自分の望んだものを、手に入れると、他の難題が出て来るのよね、人生って。(つづく)


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伊藤博峰
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