小説・現代の公事宿覚書―腹の虫(1)

公事宿(くじやど)とは江戸時代、京・江戸などに地方から訴訟のため出てきた者の泊まる宿(広辞苑)、のことをいいます。江戸時代は行政機関と司法機関が別れていませんでした。訴訟を裁くのは町奉行所です。現代で言えば、民事は本人訴訟のみです。その手助けをするのが公事宿の主や番頭・手代です。現代でいう「法律事務所」と考えれば良いでしょう。
 
(一)
夏の暑さがまだしもの七月の初旬、石原一郎は突如約束もなくやってきた。今時そういう人は珍しい。
伊達康明は最上義人法律事務所のイソ弁だ。勤め始めて3ケ月しか経っていない。イソ弁は勤務する法律事務所から毎月給料をもらい、3~5年たつと独立して自分の法律事務所を構える。伊達もそうするつもりだ。それまでの間は給料をもらいつつ弁護士業務を習得する期間である。勤務時間も朝何時から夕方何時までとは決まっていない。三十歳で独身であるから、時間に糸目をつける必要はない。
いわばその期間は丁稚奉公である。最上弁護士を紹介してくれたのは司法試験の受験生時代、教えてもらった大学時代の先輩弁護士である。その先輩から紹介される際、問われた。
「イソ弁は何故するのか知っているか?」
答えがないのをみて取って言われた言葉を鮮明に覚えている。
「伊達君、弁護士は老若男女すべて平等なんだよ。登録した時には顧客もいないし、法的紛争を解決する弁護技術が未熟だ。
この二つの理由以外にイソ弁をする理由はない。それに不服だったら資格があるのだから司法修習終了後にすぐに独立するんだな。生活の糧を得ながら勉強できる幸せを素直に喜ぶんだ。そうすれば伊達康明は一流弁護士だ、という実力と評判がたつ……」
最上弁護士は目くじらを立てない。時間が空いていれば、誰とでも会うのを信条とする。友人・知人のみならず飛び込みの営業マンとでも時間が空いていれば会うことにしている。来るものは拒まず去る者は追わず。最上法律事務所の顧客は種々雑多である。ケジメをつけた方がよいのではないかと言ってくれる人もいるようだが、昔から、そのようなスタイルを貫いている。したがって伊達もそのようにしている。
 (つづく)

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伊藤博峰
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