6.日本の契約法ー大岡裁きの好きな日本人(刑事事件)?

親殺しや子殺しのような凶悪な事件が報道されることが多くなりました。
昔であれば、親を殺すなんて考えられませんでした。親殺しも子を殺してしまうのもそれ相応の理由があったことは、今も昔も変わりませんが、日本人の罪は罪なのだが、法律を杓子定規に当てはめると公平・平等な結果を得られないという場合に、日本人の常識にあった妥当な結論を得させたのが、いわゆる大岡裁きです。

明治維新後に西欧諸国から法律を輸入して刑事法を制定しても、日本人の法意識は簡単には変りませんでした。

「日本人の常識」にあった処理でないと国民が納得しないからです。

法曹界では、「三方一両損」のような民事事件のみならず、大岡裁きは刑事事件でもあります。何をバカな、江戸時代でもあるまいし、そんなことがあるものかと思われるかもしれませんが、そうではないのです。

事例をあげましょう。

次は、特捜検事が正義の味方だった戦後の時代のはなしです。

文部省の現役職員が収賄の容疑で逮捕・勾留されましたが、その職員は、金銭の授受は認めましたが、そのカネを何に使ったのかについては口を割りません。何に使ったかを言わせないと、カネの授受自体についての自供が疑われかねません。

追求すると彼は、検事さんと二人きりなら話しますと言ったものですから、件の検事は一対一になって、カネの使い道を聞き出しました。彼は妻子がありながらも、ゲイ、つまり同性愛好者だったのです。彼はワンルームマンションを借り上げ、その家賃などの支払いのために出入り業者から賄賂を受け取っていたのです。

彼は、「こんなことまで話したのは、検事さんが初めてです。これが表沙汰になったら、私は、もう生きていけません。だから、このまま死なせて下さい」と告白します。

これで、彼は全面自供です。

検事は、そのままを供述調書にして起訴したのでしょうか。ここからが、現代の大岡裁判です。

検事はその容疑者の告白を聞いて、「いや、それはあかん。でも、ほんまにここまでようしゃべってくれた。あとはワシに任せといてくれ」といいます。検事は「これを世間に公表するわけにはいかない」と思ったのです。

そして、この検事は、「ワシはこの事件で嘘の調書をつくるから、お前が相手にしていた男を、すべて女に置き換えて、そこに金を使っていたことにするからな。その代わり、絶対にこのことは公判でも話すんやないで」と言い聞かせて起訴します。

  • 起訴内容も、収賄額が1、000万円を超えると実刑の可能性が高まるので、800万円にしました。執行猶予がとれるギリギリの線に起訴状記載の収賄額を抑えたのです。

彼は保釈となり、公判が始まったのですが、法廷が開かれる直前になると必ず検事に電話がかかってくれるようになったのです。

何時、自分がゲイであるという秘密がばれるのではないかという不安に堪え切れなかったのでしょう。睡眠薬等を飲まないと寝られない状態で、ろれつが回らない口ぶりだったようです。精神的におかしくなりかけていたのです。

検事は彼の弁護人を検察庁に呼んで忠告します、睡眠薬などを飲むことを止めさせないと廃人になってしまいますよ、と。しかし、弁護士には被疑者がそこまで精神的に落ち込んでしまう原因が分かりません。

「実は先生、彼には人と異なる性癖がありましてね。ゲイなんです。でも、それが世間にばれると、彼は生きていけない。そこで、調書を書き換えて起訴したんです」

「あとの処理は先生の判断にお任せします」
といわれても悩みますよね、弁護人は、調書を書き換えて起訴した検察官の責任を押し付けるな、と言いたいですよね。

弁護人は「そうですか。検事さん、よく話してくれました。感謝します。公判でこれを使うような下衆なまねはしませんが、とにかく彼を医者に見せようと思います」と言い、検察官・弁護人そろって裁判官を訪ね真実を打ち明けたのです。

「これが事実です。もちろんここからは私たちの領域ではありませんが、彼は反省していますので、できましたら情状を汲んでやっていただけないでしょうか」

これで裁判官も事実がわかったのです。

一審の公判が終わり、件の検事をねぎらったのは、当時の上司でした、その上司は後に検事総長になった人です。

「お前ようやった。大したもんや」
杓子定規な解決をしなかったことを誉めたのでしょう。

その時の文部省の役人は、事件後、民間会社に再就職し現在も、働いているようです(以上は田中森一著・反転―闇社会の守護神と呼ばれてー幻冬舎刊・112~123頁より引用)。

このような物語(?)を知ると、司法界の実情を知らない方々は、
鬼平犯科帳や大岡裁判が現代でも生きているのではないか、或いは法曹三者(弁護士・裁判官・検察官のことです)の出来レースではないか、と思われるかもしれませんが、刑事関係の法律はアメリカ法を模倣して作られていますので、そのままあてはめてしまうと日本人の感覚にあわなくなるのです。

従って、起訴便宜主義(検察官に起訴するか否かの権限がまかされていること)、
起訴状一本主義(起訴する場合は警察や検察庁での取調の供述証書や物証を起訴状と共に裁判所に提出してはならず起訴状のみを提出してから刑事裁判が始まるという制度のこと)、
自由心証主義(裁判所に提出された証拠はどんな事実を証明するのかしないのかについて、裁判官の心持ちによって決めて良いという制度)
等という諸制度を駆使して検察官、弁護人、裁判官たちが妥当な日本人の納得するような裁判を求めて苦闘したのです。

立法・行政・司法の三権が分立しており一人の権力者に属させないのが、三権分立主義であり、日本は憲法においてそのような制度をとっているのですが、三つの機関がそれぞれ別個の判断をするようになって、結論が必ずしも日本人にシックリ来なくなるようになった場合に、出て来るのが大岡裁きなのです。(つづく)

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伊藤博峰
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