3.日本の契約法―日本人の深層心理

日本の取引社会は黒沢明監督の映画「七人の侍」に描かれた社会と同じではないか、すなわち、「戦さ」と「紛争状態」は、同視できるのではないか、ということである。

以前は、日本において訴訟を提起することは、「裁判沙汰」と言われ、

できれば忌避したいことの一つであった。

新明解国語辞典(第5版)には、裁判沙汰に及ぶ、という言葉について、「内輪で、話し合いや示談で平和裏に事を済ませるのではなくて、正式に訴訟事件として裁判所で曲直を争うこと」

と説明している。

この説明からは、訴訟提起、すなわち訴訟事件となることは、「平和裏」にではなくて「正式に」争うことになることを意味している。  訴訟事件が「平和」でないとすれば訴訟事件はその反対の「戦争」「戦さ」「合戦」を意味することになっても不思議はない。

多分、日本人は無意識のうちに、そのように考えてきたのだ。何事でも訴訟にする人や安易に訴訟を提起する人は嫌われる。

「いや、そうではない」という理屈を言って、そういう意識は後進的であると主張して譲らない日本人、欧米社会における生活が長いために(特に、生まれた頃から幼少時代を過ごした人々)、自己の内なる感情を忘れてしまう日本人がいるが、自己の内なる感情を、日本人の深層心理を、知ることが大事なのだ。

これを前提に日本社会、特に取引の社会は、これから述べる「七人の侍モデル」で解明できる。
(つづく)

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伊藤博峰
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