#5 自分のIQを把握することのメリット。
自分がいわゆるギフテッドと呼ばれる高IQの持ち主だったこと、そしてこれまでの生きづらさや苦しみはそれと深く結びついていたことがわかったことで、幼少期から感じてきた疑問や受けてきた理不尽さ、理解できなかった数々の出来事や記憶が津波のように押し寄せてきた。45年間に感じてきたそれらは、どんなに色々な角度から考察・検討しても「私の何かがズレているから、普通じゃないから、頭が悪いから、周りの人や社会に順応・適応できないから」というだいぶざっくり・ふんわりしたものでないと、様々なたくさんの理不尽をまとめることはできなかった。
そこに、「ギフテッドだった」という新情報が急遽追加され、それをきっかけにそういった出来事が思い出されるのはとても苦しいことではあったが、結果的にはずいぶん救いになった。やっと具体的な理由(原因)が与えられたことで、不透明だったものが明確になり、「そういうことだったのか!」という理解が一気に進んでいった。長年答えのない世界で、雲を掴むように答えらしきものを探しを続けていたところに、答えが突如出現したわけだ。それは全方向からオセロがひっくり返っていき、一気に黒から白に変えていくような圧巻さだった。
「IQにこだわるな」という人もいるだろう。
私は、自分の人生の謎の一つが解けたというそれだけでも、自分のIQを知った甲斐があったと思っている。おかげで、たくさんの辛かった出来事を思い出すことになったが、それらを理解し納得し消化していくこともできたからだ。
念の為にいうと、私はIQ自体にこだわっているわけではない。
そもそも、IQの数値とは情報の一つに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。その情報が必要な人もいれば、必要ない人もいる。しかし、例えば私のように、長年日常生活で感じるストレスに悩まされており、その原因や傾向の理解に役立つ情報があったとしたら。その情報が、私の場合はたまたまIQの数値だったということだ。
私の場合に限って言えば、IQの具体的な数値を知れたことで、これまで常に感じてきた苦しみや辛さの原因や、自分の特徴をより理解するために必要な情報源やサービス(本、相談場所、相談相手、特徴など…)に辿り着きやすくなった。そしてこれは、高低に関係なく知能という点で、もしくは発達障害などに関してもなんらかの苦しみを抱えている人にとっては、やはりとても貴重な情報となるはずだ。さらには、人によっては、過去の苦しみやトラウマ、心の傷を癒していくきっかけや理解を促す情報でもあると思う。
おそらく、IQにこだわる人というのは、その数値が高いことに価値を見出しているのではないかなと思う。つまり、高ければ自慢できるものであるという認識であり、実際に自慢する要素としてひけらかす人たちもいる。それは、年収何千万円とか会社名とか役職とかと同じで、その人たちにとっては「自分の価値を高めるもの」という位置付けのものなのだろう。だから、それを印籠のようにアピールしたがる人もいるし、それを持っている人に対するやっかみや嫉妬を感じる人もいるのだと思う。
しかし、私のように苦しんできた人にとっては、高IQとは自慢どころか、むしろ「苦しみの要因」であり、ある種の「呪い」に近いものでさえあると個人的には思っている。実際に、大人になって自分がギフテッドだったと知った人の中には、これまでの長年のストレスからメンタルのバランスを崩し、「自分の何かがおかしい」と自分を責め、心療内科の門を叩き、そこで受けたテストによって知った…という人がとても多いのだ。それはとても悲しいことだと思う。残念ながら、私もその一人だ。
そして、偶然にもその数値を知ることとなった今の私にできることは、その事実を受け入れることだけだ。そこに辿り着くまでに経験してきた苦しみを癒しながら、より自分の特性を理解していくこと。人に合わせることも大切だが、自分の特性をうまくいかせる仕事や環境を探っていくことだと思っている。人によっては、メンサ(Mensa)の会員になるなど、自分がより安心でき心地よくいられる場所や仲間探しも大切だろう。
私に関して言えば、本当に興味があることに向き合ってみようかなと思っている。
前の記事
次の記事