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わたしの暮らしを愛でる#10|摂食障害体験記|1997年2月のこと①
わたし、もっと頑張れたかな。
そしたら過食症に転じることも、不登校になることもなかったかな。
少しだけ感じた温かさに気が緩んで、とんでもないことになってしまった。
時計はあの夜から止まったままだ。
中学2年の冬
学校や親はわたしを拒食症とでも思っているのか、病院に通っている。
(だからといって、親は大して心配しているわけでもなかったと思うけど)
わたしそんなに痩せてないのにね。
(もっともっと痩せたいぐらいなのに)
男性医師がわたしにこう言った。
「男はちょっとぽちゃっとしてる女の子のほうが好きだよ?」
何言ってるんだろ?
わたしはモテたくて痩せてるんじゃないのよ。
わたしが痩せたいからなの。
痩せてる自分が好きなの。
なんにもわかってないわ。
そんな病院帰りには、
カプサイシン入りのマッサージジェルや
ギムネマ茶、カロリー0のゼリーの素などを購入して
もっと痩せるぞ!と意気込んだ。
あの日のこと
なぜか忘れたけど、
兄弟の中でわたしだけ学校を休んで、
両親と親せきのおばさんとわたしで外出した。
帰り際だったか、
料理好きなおばさんお手製のマグロの兜煮を母が受け取っていた。
ダイエットに取り組むわたしは
久しく夕食に顔を出していなかったけど、
病院に行き始めたぐらいから夕食に顔を出すようになっていた。
「一口でいいから食べてみて」と、母。
毎晩のようにそう言われた。
そして毎回、断っていた。
先に食事の場を切り上げ、自室へ向かう。
いつも、階段を上ったところで涙が出てくる。
小さい声で「ごめんなさい・・」と繰り返した。
あの日の夕食は、
メインのおかずは麻婆豆腐で、サブは肉じゃがだったと思う。
おばさんの兜煮もあった。
母のいつものセリフが聞こえた。
振り返ると、こんなふうに母が
わたしを気にかけてくれることがあっただろうか。
この温かい感覚。
前に感じたのは、赤ちゃんの時だったのかな・・
わたしは、罪悪感にもう耐えられなかった。
この温かさというものに、頑なわたしの意思を溶かすような作用を感じた。
「(肉じゃがの)汁だけでもいいから」
母の言葉が追い打ちになって、
一口だけなら・・そう思って煮汁を少しだけ口に含んだ。
「おいしい・・」
両親のうれしそうな表情が見えた。
罪悪感も薄れたし、これで止めようと思った。
でも、どうしてか、わたしは今度は具を口に運んだ。
一口。
また、一口。
また、一口。
あれ・・?止まらない・・