
23歳の私
私は今、大学6年生という異様な学年の大学生だ。年齢で言うと23歳。まだ学生気分だと言われるとその通りだが、社会人になった友達の仕事の愚痴なんかを聞いていると、置いて行かれているようななんとも言えない劣等感に苛まれる。将来のために勉強しているだけなのにね。
社会人になる直前、まだ一応"子供" でいられる最後の年に、自分の気持ちや経験や思い出や愚痴なんかをnoteに書き連ねてみようと思う。
まず第一作は今の率直な気持ちを書いてみる。
私が育ったのはとてもあったかくて幸せな家庭だった。両親はいつも仲が良く、優しくて優秀な兄もいる。末っ子の私はみんなから可愛がられてたっぷりの愛情をもらって育った。
私は昔から、そして今でも、家族の話をするのが好きだし、心から誇りに思っている。
しかし今、(贅沢な悩みだと言われるのは重々承知だが、)私はその「幸せな家庭」のプレッシャーに押しつぶされそうだ。
私がこれから歩む人生のハードルがあまりにも高すぎるのだ。
話は少し変わるが、兄が2ヶ月前に結婚した。長年付き合っていた彼女(奥さん、と言うべきか)はしょっちゅう家に遊びに来ていたし、家族旅行に参加するほど家族公認だった。だから、兄の結婚は家族の誰もが望んでいたことだし、一点の曇りもなく喜ばしいことだった。もちろん私もとても嬉しかった。
嬉しくて友人に自慢したくなるほど。
この気持ちは紛れもなく本心なのだが、それと同時に複雑なモヤモヤがある。心がちくっとする。
それはおそらく、
自分の将来に対する焦り、だと思う。
私は昔から兄の後を追いかけてきた。習い事も中学受験も大学受験も、兄と同じレベルを目指して、そしてそれを実現してきた。
それをプレッシャーだと思ったことはあまりなかった。今思えば、両親の接し方が上手だったからかもしれない。
けれど、私は今間違いなくプレッシャーを感じている。
「順風満帆な人生」(今のところ私基準では順調に見える人生、の方が語弊が少ないか)を着実に進んでいくことに対して。
「幸せな家庭」を築くことに対して。
時折感じる、次はお前の番だぞ的な家族の雰囲気。
恋愛に失敗しまくっている私に対する母親からの過度な心配。(男を見る目がない件についてはまた後日書こうと思う。笑)
思い描いた人生を歩みたいと思う自分の面倒臭いプライド。
これら全てが重くのしかかり、ふとした瞬間に不安でいっぱいになる。私はこれから真っ当な人生(と自分で定義づけした人生)をちゃんと歩めるのだろうか、と。
では、私が自分自身に期待する真っ当な人生って何だろう。
その基準は、間違いなく自分が育ってきた家庭環境そのものだ。これを築くことこそが幸せな人生なんだと思って疑わない。
これは一見とても幸せな人の考えであるようにも思うが(多分そうなのだけど)、かなり自己中心的な、排他的なものの見方である気もする。自分の文化が評価の基準であり良いものの基準なのだから、自文化中心主義の一種なのかもしれない。
そう思うとなんだか悔しい。自分が生きてきた小さな世界しか知らないくせにそれが幸せの定義だ、正解の人生だなんて思っちゃって、なんてちっぽけな人間なんだと思う。そしてその自分の価値基準なんて、両親の価値基準にほぼ100%依存している気がするし、結局私がなりたい自分って、両親がなってほしい私でしかないんじゃないか、と謎の反抗心が芽生えたりする。
まあそうは言いつつ、今のところ、私の目標はやっぱり自分が育ってきたのと同じもしくはそれ以上の幸せな家庭を築くことだ。私基準の幸せな家庭を。
そして、自分の子供には自分が幼少期にもらってきたのと同じくらい、いやそれ以上の愛情を与えたい。
両親が見たら100点満点をくれるような親孝行な望みだが、今のところこれが本音だ。
でもあわよくば、自分が今まで知らないような幸せをくれる誰かに出会い、自分基準の幸せの物差しから逸脱した世界をみてみたいとも思う。それが何かはよくわからないし、それを幸せだと私が思えるのかどうかもわからないが。
とりあえず長いのでこの辺でまとめると、人生に正解なんてないってみんな言うけど、私は私に正解の人生を用意している気がする。そしてその人生を歩むのが結構難しいことに気づいて、落ち込んでみたり、つまんない人生だなそんなのとか思ってみたりする。
そんな23歳春。
この文章がもし何らかの形で残り続け、20年後くらいの自分が読んだら、なーに言ってんだコイツはってくすっと笑ってほしい。
私の物差しでメーター振り切るほどの幸せか
私の物差しでは測れないなにか別の幸せか
そのどちらかを手に入れているといいな、
今歩んでいる人生は正解だと思うよって言ってくれるといいな、未来の自分よ。