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愛に似て非なるもの

Lilyです🕊 

初めましての方へ、私のプロフィール です。

愛とは何かって? 壮大すぎるテーマではあるけれど、私は今まで純粋なる愛を求めてきた訳ではなく、愛に置き換え可能な愛に似た何かで自分を満たそうと必死だった気がする。

例えば、自由お金、人からの賞賛。どれも私を心地良くしてくれる大切なもの。これらは長いこと自分を愛する為に必要な確固たるツールでした。

他人や会社・社会の為にと目的を見出し、修行僧のようひたすら突き進む働きマン。山登りの様に高みを目指し、自分を研磨し、自分を高めていく。その見返りに得られるご褒美たち。それを自分自身や家族に還元する為に、私は頑張ってきたような気がします。時にストレスでコントロール不能なイライラを無垢な幼児にぶちまけたり、旦那氏との仕事の雑談が議論に発展し、平和であるべきの食卓の雰囲気を、問題が勃発した後の会議室のテーブルのように変えてしまったことも多々経験あり。

生きるってそういうこと。働くてそういうこと。仕事と家庭は別問題。相容れない別世界。これが普通だと思って生きてきた私は、凝り固まった思想を持っていたなぁと、最近までの自分を振り返ってみる。勿論仕事にワクワクが無かった訳ではないし、仕事の楽しさは味わってきた。悲しいことも、悔しいことも経験した。仕事を通してたくさんの感情を学んだ。

でも、でも、何のために私は頑張る??仕事の目的は何ぞやと。問うてみる。

その先には、目的には、いつも変わらず先程のご褒美しかなくて。しかもそれらはより満足ができるものへとグレードアップされてないと、私はもはや満足できない。更なる自由や報酬を求め、ますます自分に鞭を打っていく。永遠に走り続ける終わりなき道。麻薬が切れた時の様に(実際は知らないけどw)、それを求めて枯渇して。もしくは供給が途絶え、目的の対価が与えられないことを恐れて。ただただ突っ走るのみの坂道。人生はこれの連続なの??

恐れ。それは愛に似た何かを求めてきた状態。本当は愛ではないのに、愛であるかのごとく、自分を満たしてくれると信じて何かにしがみついていた自分の心のあり様。一生懸命外の世界に、救いの何かを求めることに必死だった私。こうしてこの価値観の異様性に気付くことで、ようやく追い求めることを辞めてみようとしている。

三次元の世界にどっぷりとはまって生きてきた私。その世界で愛に似た幸せを探しもとめてきた私。身の回りのほんわかしたことや、ホッとしたぬくもりを感じることができなかった私。

この張り詰めたテンションに気づいたことから頑張ることを辞めると宣言してみたりしてるけど、私の世界は本当に変わるのか、どういう意識のレベルになると、どういった世界が次に現れるのか。まだまだ未知だけど、スピリチュアルという新たな視点とともに探求してみたいと思っている。まだまだ物理的なことに執着している自分がいるけれど、もう十分この世界も味わった気がするし、これ以上突き進んで外の世界が見えなくなる前に、別の世界でもう少し柔らかい感覚も味わってみたい。

愛をこめて、Lily




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