悪を知らなければ善にもなれない
尊い命の犠牲の上に、私たちが気づかなければならないことは何か。
この世界には、確かに邪悪なものが存在します。
そして同時に、善も存在します。
悪を知らずに、もしくはその存在を否定してひたすらに善を信じることや、主張することを、「偽善」と呼びます。
礼節を持ち、平和を願い、真面目に働き、子どもを養い、他人に友好的に接していても、不意に強烈な悪意を見せつけられることがあります。
誰かの強烈な悪意の前で、正直者でいることは無力です。
邪悪な存在があることを認めた上で、自分は善を選択する。
自分中心でいい。自分の世界を最優先にする。
だけど、自分が体験していないからとって「ない」と決めつけてはいけないのです。
人それぞれ体験を設定している宿命は色々です。
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私にとって書くことはライフワークで、どれだけ邪魔されても、何かを失っても、胸の内に湧いてくる思いを書き出さずにはいられません。
しかし味方の少ない私の世界で、私は自分と子どもを最優先に守らなければなりません。
邪悪な存在が目を光らせるこのネット社会。
ネガティブなことは、ぼかして書こうと思います。
馬鹿正直な私はつい勇敢になりすぎるのですが、社会の不幸を問いただす仕事は週刊誌と政治家さんにお任せするのが賢明な個人の選択なのでしょう。
そして、ただの一般人である私は、なるべく楽しいことを書きたいと思います。
P.S.次の日本国総理大臣は、日本の存亡にとって非常に重要だと思っています。
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