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【編集後記】炭酸抜きコーラとおいちゃんに思うこと

気の抜けたコーラと、その飲み方を教えてくれた伯父(おいちゃん)との思い出を、エッセイに書きました。

「炭酸抜きコーラ」……そう聞くと、ある時期に少年時代を過ごした人や、インターネット界隈の文化(とりわけ2ちゃんやTwitter)に明るい人は、同じ漫画のコマを思い浮かべるかもしれません。

ほう炭酸抜きコーラですか…
たいしたものですね
炭酸を抜いたコーラはエネルギーの効率がきわめて高いらしくレース直前に愛飲するマラソンランナーもいるくらいです
『グラップラー刃牙』(板垣 恵介)第1話より

格闘技マンガ『グラップラー刃牙』の主人公・範馬刃牙が、空手大会の決勝進出直前に、あえて炭酸を抜いたコーラを飲み、それを見た大会役員のおっちゃんがえらく感心する、という場面です。
「ほう○○ですか… たいしたものですね」の構文は、各所でパロディされまくっています。

幼い私に、「コーラの炭酸の抜き方」を教えてくれたのは、伯父でした。
効率良い方法でエネルギーを補給させ、空手大会でテッペンを取らせるため……ではなく、炭酸の刺激にまだ慣れず、コーラをもてあましていた私への助け舟でした。

割り箸でコーラをかき回す。するとシュワァァと音がして炭酸が飛ぶ。口当たりがまろやかになったおかげで、私は初めてコーラをしっかりと味わうことができました。おいしい、そう思いました。

「炭酸が苦手なら違うジュースにしなさい」だとか「お行儀は悪いかもしれないけど……」だとか言わないところが、いかにも伯父らしいです。ガキ大将がそのまま大きくなったような、伯父はそういう大人でした。


伯父はもう亡くなってしまいましたが、この話を人にすると、相手の世代によっては、先述の「ほう…炭酸抜きコーラですか」の話題が出てきたりします。
サッカー漫画『シュート!』(大島司)にも同じ意図でコーラの炭酸を抜く場面があるらしく、そちらに言及する人も。

伯父はただおいしく飲めるようにと教えてくれただけですが、もしかしたらあの時の笑みの裏側には、そういった少年漫画のひとコマの想起があったのかもしれません。漫画とかゲームとか、娯楽に関しては、とてもよく知っている人だったので。そういえばおいちゃん、スポーツ観戦も好きだったしな。

まぁ、それを確かめる術はないわけですが、私はなんとなくその想像を気に入ったし、時を超えて同じコンテンツを楽しんで、同じセリフにニヤリとしているとしたら、それはうれしいです。

……エッセイにしてみて思ったのですが、モチーフとしての「炭酸抜きコーラ」は、深く考えようと思えばいくらでも考えられるし、意味を見出そうと思えばそれも容易い。

「大人が持つべき」とされる責任の一切を拒んだ、ピーターパンのような伯父と、アイデンティティたるシュワシュワをあえて抜いてしまったコーラ。

それぞれにあるものを手放した両者に欠陥を見て、「だが良い」と言うこともできるのかもしれません。事実、そう読んでくれた人があったとしても、もちろんそれはそれで良いのです。

だけど私個人としては、そこにそこまで解釈だとか相似だとか、理屈を持たなくてもいいと感じているんですよね。それはあまり伯父に似合わないし。
死んだ人との思い出に意味を持たせすぎてしまうと、「ただ面白かった」とか「なんとなく好きだった」とか、そういうシンプルな気持ちがどんどん遠ざかっていってしまう気がする。
意味を持たない「なんとなく」の中に、その人の体温を感じるのです。

「なんだおいちゃん『刃牙』好きだったのか。私もよ」くらいに思っておきたい。
『シュート!』は知らないけれど、そっちでも良し。

なんてことを思いました。


最後になりましたが、読んでくださった方、本当にありがとうございました。

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