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私の経験したカミダーリ(神懸かり)について

こんにちは。
占い師、ヒーラーのLily咲です。



今回は私が過去に度々経験している、カミダーリ(神懸かり)について
経験談を書いていきたいと思います。



幼少期より、霊や神霊をみたり、その霊たちと触れ合って遊んだりというのは私にとって当たり前の日常でした。
家の覗き窓をみるといつも同じ霊が外で佇んでおり、自然と霊に頼られたり、助けを求めてくる霊に対して、共感したり、悲しみや怒りを分かち合うことも私にとっては普通のことでした。



そんな私は、霊という存在を蔑むことなく、共振して、受け入れることをいつもしてきましたので、時には莫大な量の霊が体の中に入ってきて、大変な事態になってしまったことも何度もあります。



特に思春期の頃には、霊や神霊との向き合い方もまだ未熟でしたので、自分の体と思考が乗っ取られてしまうような出来事も何度も経験しました。




それでも、いつも心の中に私が大切にしているのは、「霊は悲しみや怒りを誰かに理解してほしいと願っている」ということを理解すること、「地球上に彷徨う霊を本来行くべき世界へと昇華させてあげたい」という想いです。



祈祷師や巫女としてみると、優しすぎると思われることも度々ですが、そのように取り組んでいかなければ、いつまで経っても何も変わらない世界になってしまいます。



物質的な世界は変わったとしても、霊の世界を置き去りにして進んでいくことはどうしても私の中でしっくりこないからです。
私にとっては、人間が霊や神霊と共存し、互いに思い合い、存在を感じあう世界が理想であるからです。


私の経験した神懸かりの内容を少し書きます。


思春期の頃には、神霊が降り、高熱が出ました。
そして、自分の体が焼かれるかのように、床から熱い炎のイメージを感じ取り、まるで火炙りに遭っているようなそんな感覚を得ました。



そして、目の前の世界がまるで天国になったような感覚を得て、見るもの全てがこの世のものではないように感じることもありました。




また、目を閉じると目の前に映像が現れて、それが何かを示唆しているかのように、ずっと繰り返し目の前に現れるのです。



とてもリアルな映像で、まるでテレビの中の映像を見ているのかと思う程でした。
頭の中では常に霊が話しかけてきますので、それに答えたり、会話をしながら過ごしていたとても不思議な時間でした。



それからも度々そう言った経験が何度もあり、それを繰り返す過程でヒーリングの能力が目覚めることになりました。




今思えば、天からの試練を乗り越えて、それが一つの節目になった時に、天からのギフトと使命として、ヒーリングの能力が目覚めることになったのかもしれません。



ヒーリングを行う時に、クラウンチャクラ やサードアイチャクラから相手の体に繋がっていくことになりますが、その際には、相手の体の痛みや、精神状態がこちらに乗り移ったかのように実際に痛みが現れ、精神状態も同じようにこちらに現れます。


体や精神状態がとても辛い方をみる時には、全身に寒気を感じ、ブルブルと震えるような感覚になることもあります。



カミダーリを経て、ヒーリングや占いの仕事をするようになりましたので、時には霊に対してヒーリングを行う時もあります。
それは私の人生の使命であって、一番やるべきことであるように思っている部分もあるからです。



カミダーリの現象の渦中にある時には、とても辛く大変な時期ではありましたが、それを乗り越えたことで、自分の中の芯がしっかりとし、あらゆるもの、あらゆる存在と自然に共振していく感覚が強くなったように感じます。



今回は今こういったカミダーリ(神懸かり)のような現象にあっている方の参考になればと思い、記事を書かせていただきました。



ここまで読んでいただきありがとうございました。
ご縁に感謝いたします。


Lily咲











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