2年前の「未来note」といまの私
すこし時間が経ってしまいました。
でもどうしても書き残しておきたくてようやく重い腰をあげました。
変化の濁流に飲み込まれている最中に感じたことをつらつらと書いていきます。
どなたかのお役に立てる気がまったくしないのですが、自分の気持ちを整理する意味で必要だと感じたので。
これまではタスクを淡々とこなし、日々平穏に過ごすことを最優先に考えていた40代ワーキングマザーでした。
会社では総務という立場から自分よりも社員を優先、家庭では家族を優先させることが当たり前でそれが私の役割であり「あるべき姿」だと信じて疑いもしませんでした。
20年以上もそれでやってると人格形成においてのデフォルトとなっていきます、これほんとに。
平穏をもとめる →変化を好まない →多様化する世の中についていけない
悲しいかな。はい、模範的変移図成立です。
「あるべき姿」
あるべきってそもそも誰の基準なんでしょうか?
他人から見た時にそうであってほしいといういわば理想像を自分で勝手に作り出して演じているだけかもしれない。
そのことを他人にいいように利用されてしまうこともあるかもしれない。
だけどそれは自分にとって本当に「ありたい姿」ではないんですよね。
ここ半年間休職や有休消化で強制的に時間をつくったことにより、ようやく私は気づくことになります。(遅い)
そんな私がいま、大きな転機を迎えている・・・気がするのです。
気がするのは実際にまだ一歩踏み出していないから。
でも当たり前に空気を吸うような平穏な生活から一変、なにか大きな流れに身を任せ、これまでとは違った方向へ流されていると実感はあります。
思考整理
決意表明
未来予想
実感をよりリアルに体感したくてnoteの力を借りているというわけです。
われながらこんなに無鉄砲で、無計画で脳天気だったとは・・・
やっていること、起きていることを理解して納得して、未来を計画して、きちんとしたカタチが整えてから行動することがこれまでの私のやっていたことでした。
大縄跳びの縄に入る前の、頭全体でタイミングをはかっているあの瞬間。
(でもなかなか入れないで時間ばかりが過ぎていく)
変わりたいんだけど「そのとき」が来てから。
完璧主義とまではいかないけど、これは仕事においても同じことを考えていて頭の中で悶々と考えて考えて考えて・・・結局かたちにならないことがたくさんあったこれまでとは違い、おそらく私の人生の中で大きな転機となっていることは事実。
無鉄砲で無計画で脳天気な人もいるんだなぁくらいに知っていただけたら嬉しいのです。
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2年前の公開していなかった下書き。
久しぶりに読んでみたら自分じゃないみたいです。
まだ見えない「なにか」に向かって後先考えずに会社を辞めた鉄砲玉の2年前の私。
いまは小さい頃から好きだった仕事にパートタイムで働く時間をコントロールしながら、近しい人たちにヨガの学びをシェアしています。
(そう、ヨガインストラクターになったのです!まったくキラキラしていない系の)
自分の中の溜め込んでいたものを吐き出したいま、確実に変化しています。
未来の自分への手紙(note)だったのか?とさえ感じてしまった。
なぜこのタイミングでこのnoteを公開したかというと、まったく更新していないのにフォローしてくださった方がいたから。
その通知メールでnoteの存在を思い出し、2年前の苦悩している自分と再会し、もたもたしていたら気持ちが萎えるかもしれないので加筆・未編集でいまにいたります。
起こることはすべて必然というヨガの学びの実践です。
きれいに見せがちな文章ではなく、ありのままの日常の思考を綴っていこうとnote再開のお知らせでした。
きっかけをつくってくださったそこのあなた、本当にありがとうごさいます。