ちょいださの魔法
クールとかスタイリッシュとか、そんな雰囲気がすきで、黒の全身コーデにゴツめの編みあげブーツ、なんていうのが基本系だった時期がある。
ヒトがちょっと苦手でどこか拒絶の意味もあったんだとおもう。
それ以上入ってこないで結界。
(なのに髪を超ロングにしていたせいか、謎に宗教に勧誘されがちだったという矛盾…話を受け入れてくれそうにみえたのかな…)
時とともに着たい服も変わり、いまはとにかくじゃんじゃん歩けるもの、たとえば道で猫が凍えていても汚れることを厭わず抱えられるようなもの、ややこしくないカタチ、感覚的に合う素材のもの、を選ぶようになった。
天然素材が多くなると、このみに合う色やカタチがみつけにくかったりするから、編み物じょうずな方に毛糸を渡して編んでもらったりもする(じぶんでできない…)。こどもの頃みたいでたのしい。
ただ、天然素材の服ってうっかりすると野暮ったくなったり、牧歌的になってしまったり趣味とはちょっとずれがち。ゆっくり選ぶ時間もとれないことが多いから、まぁひとまずこれでいっかと、妥協でしのぐことも増えた。
そんなある日、きづく。
服にあわせた演出とか気負いがいらず、人目も意識しないせいか落ち着き払った感覚もある。誰にも勝たず誰にも負けることもない「ゾーン」。
そして、主張の薄さは他人を安心(油断)させるようなきもした。
キメ系のときにはむだに期待感を抱かせてしまったり、いいこと言わなきゃいけないきがしたり、メイクだってそこそこキメないと合わなかったり、本人との乖離が大きめだったきがする。
最近では、女性っぽく全身おしゃれにキメてるひとをみかけても、「たいへんそうだなぁ、帰ったら即脱ぎたいだろうなぁ…」なんておもっちゃったりで、あぁ、いいのか??わたし😭
でも、生活と仕事の忙しさ感こみで、現地の状況にあわせてとりあえず着てきた!みたいなのがカッコよく感じてしまうのはホント。
これって、うたの心得とも近かったりする。ほんとの表現て自意識を脱ぎ捨てなきゃはじまらないんだから。(と正当化してみる)
境地、なのか。(いやただ手抜きなだけのような…)
日常のおでかけでは、妙ちきりんなピンを前髪にとめてみたり、とにかくどこかを(あるいは全部だったり)ハズすことが快感となった。
まぁ、あくまでも服のおはなしで、表現においては追求したいタイプではあるけど、取り憑かれたようにキメキメを追いかけている方をみてると妙につかれたり、ださくおもえてしまったり。
ちょいださは自由の扉をひとつあける「魔法」なのかも?
リリィミンツ (こころの副音声多め)
SSMP
* ずっとウタうシゴトしています*