「繊細」って すこしネガティヴに 捉えられることが多い もじもじ おどおど ひきこもり コミュ障 神経質 腫れ物対応… そんなイメージももたれがち そういう繊細さんもいるとおもうけど すくなくともわたしはそうでもないし 多くの繊細さんは活発だと思う 繊細 = センサーの数 感覚としてはこっちなんじゃないかなって いろいろ拾っちゃうから 混乱しがちだけど 感情あふれてフタしめがちだけど 繊細さ=絵の具の数が多いということでもあり これなしに歌詞はかけないし うたの
怪物は ガオーと海のなかから🧌 ビルを蹴散らしながら🧌 やってくるものではないと. おとなになって知った 怪物は ひとのなかにいる🧌 わたしのなかに🧌 あなたのなかに🧌 何かのトリガーで顕になる🧌🧌🧌 現在進行形の 強い欲望 欲求 不安の暴走 過去の満たされないままの記憶 栄光の残像と現状のギャップ あとは謎遺伝子?? 怪物の原材料の大半は そんなところかな リアルでは バレにくかったのに SNSでは 怪物がまるみえになることもある不思議 トリガーからのジャ
3歳から すきまさえあれば 字幕の洋画をみて(みせられて)育った SFだったり 怪しげだったり 深く重いテーマが背景にあるもの 衝撃のあるもの 妄想をくすぐるもの が多かった それは言語や 周波数的な感覚 音楽のこのみ うた 日常の音 ビジュアル表現にも強く影響するのだけど 個人的なことはさておき 映画の構成や 磨かれた脚本からは みるものの想像力と 読解力を信頼し 心理もふくめて巧みに利用し 当事者の錯覚にひきずりこみ 牽引してゆく 表現方法 をおそわった(盗んだ
怪物は ヒトのなかにいる みためじゃない 着飾った美形の怪物なんて 古今東西あらゆる物語にも 登場してきた ツインピークスをみていたとき さまざまにクセのある登場人物をみながら ふとおもった あ、きっとリンチは 殺人事件のストーリーなんてどうでもよくて 日常の、個人個人に潜む怪物を この舞台をつかって描きたかっただけなんだなって 怪物はそこかしこにいる そしてじぶんのなかにも リリィミンツ SSMP * ずっとウタうシゴトしています
雨の日は 妄想世界がありありとみえてくる 空気は薄いし きぶんはぼんやりなのに どうしても具現化してみたくなって なにかつくりはじめる 晴れた日でも 作詞でことばにつまったとき メールの文章に迷ったとき シャワーを浴びると すぐに突破口が降ってくる お皿を洗っても同じような効果があって 洗い始めたのに すぐ 席に戻って ひらめいたことを書き綴ることになる 雨は 水は みえない世界との媒介 あるいは この世界のSourceへの入口なのかも 雨が降るのは 雲が水分を含ん
飾りたてた表現て 意外とむずかしくない シンプルでさりげないことほど むずかしい それは うたでも 楽器でも artでも たぶんお芝居とかも じぶんには 誇る技術も じまんする実績もないけれど ずっとこういう仕事を続けていると 他者のごまかしも わかってしまう (それも 仕事としては技術のうちなのだけど) だから 巷の「あのひとすごい」評にはうっかり騙されないし さりげないひとほど「実はすごい」ことの方が多くて そこにきづけることは お得だなっておもったりする
月をみたら 吠えたいタイプ 森暮らしのとき 月夜には デッキでの遠吠えはマストだった 吠え終わりに 微妙に音を揺らし かすれさせるあたりが 腕のみせどころ ボーカリストでよかったと おもったり まぁ オオカミもコヨーテも(いない)鹿も 残念ながらこたえてはくれなかったけど 森に棲んでた人間はだまされてくれたかしら わぉーぉぉん リリィミンツ SSMP * ずっとウタうシゴトしています*
わたしにはパンの神さまと、チョコの神さまがついている。 森にいたころ、初めて訪れたパン屋さんで、女性店員さんから理由もなくたくさんパン🍞🥐🥖🥪🥯をもらった。キャンペーンでもない。 しかも一度だけではなく、毎回。 なぜだろうと首をかしげながらも、わたしが行くとうれしそうにホイサッサと考える間も与えず袋に詰めて渡してくださるので、なんとなーく聞きづらく、そういう風習?モニター?くらいにあえて思うことにしていた。(でも感想を求められたことはなく、特に長いおしゃべりをしたこともな
「そのうち」っていうストレージに なんでもかんでも預けて いまを逃れる言い訳してるうちに 人生はすぎてゆくのよ リリィミンツ SSMP * ずっとウタうシゴトしています* ノイズが多すぎる世界で 全方向に反応して疲れ果て「そのうち」の廃墟が肥大化してしまうだからできない約束はしない誰彼にいい顔して期待させない期待のヒモはツタのようにじわじわ巻きつき やがてくるしくなるから 期待しない関わるひと・コト・範囲をしぼる目の前のことに集中するおもいついたらす
水はいつも流れつづけてる しずかなときでも なにも変化がないようにみえても 生活の 日々の すべてから ぽたりぽたり ひとしずくずつ ときにあふれるように 音符が ことばが滲みでて 小さな川となり いつか誰かに届く わたしにとって音楽とはそんな感じ どれだけ理屈をおぼえても 技術があっても いくらでもかわりのいる曲なんて そのひとが反映されていないうたなんて わたしには意味なくおもえる 毎日いっしょうけんめい わたしらしく生きることが そうそう かわりの
森の家から少し離れたところに企業の保養所がいくつかあった。 時々その前を通るのだけど、ある日、そのひとつに違和感を感じた。 目にみえる異変はほんのわずかで、いつも手入れされている芝が少し伸び、雑草もちらほらという程度なのだけど、保養所そのものの佇まい、空気感がいつもと違っていた。魂が抜け、時が止まったようだった。 ほどなくして、その企業の破綻のニュースをみることになる。 ひとが使わなくなった建造物は、あっというまに朽ちる。 通っていたエネルギの遮断による「涸れ」というと
すごい 個性的 と 思わせたいだけの表現は じぶんのなかでは もう違うのかもしれない と 最近よくおもう わたしをみてみてー が 前面の その価値観がおなかいっぱいなのかも 個性を意図したつもりでも 過去100年以上 同じパターンを踏襲してるだけだったりで それをほめたりするのも もはやめんどくさい そんなアピールより スーパーで 二の腕ぷっくりなご婦人が 長く生きて いろいろ経験したからこその余裕の笑顔で 着古し花柄ワンピで買物してたりすると あーいいなぁ
投げだしたら 手を抜いたら 模様はそこでおしまい 憶い出にもならない 半端な残骸が 転がるだけ 続けて続けて やっと 次の景色がみえること 知ってるから 手を止めない 目をそらさない 根性なんかじゃない じぶんで始めたすきなこと いつもその先がみたいだけ リリィミンツ SSMP * ずっとウタうシゴトしています*
連絡をしたのに なぜかいつも無視をする あるいは異常に反応が遅いひとっている わたしが うんざりするほどの連絡魔だったり ケンカでもしたなら別だけど 反応がない 返事が遅いというのは 敬意ナシ 興味薄 プライオリティLaw の 顕れだから そういうひととの関係は断ち切ってきた トロフィーがもらえそうなほど HSP気質の強いわたしには むり だから 理由や事情はどうあれ なんで? わたしなにかしたっけ? の嵐がきて 想像だけでアクション映画5本続けて観たくらい へとへと
幼稚園のとき おひるねの時間になると 先生がうちわで そっと 扇いでくれてた 洗い場からの水音に こっそり目をあけると しゃぼんだまが ひとつ うちわの風にのり 部屋を漂ってた 誰かに大切にされたことは ずっと憶えてる セミの声と 窓からのヒカリとともに リリィミンツ SSMP * ずっとウタうシゴトしています*
枠でふちどられたり 画像として切りとられた景色が 美しくみえるように 制限のなかの自由のほうが輝くことがある 制限にもよるけれど 音楽だって制限のart ドレミファソラシド 時間 テンポ 楽器の種類… そのなかで じぶんならどう自由に泳ごうかなって はじまりとおわりがあるから お題があるから たのしいんだとおもう もしこれが無限だったら 音楽をするきになんてならないのかも わたしは自由だ なんていいながら 誰しもが制限のなかで生きている そもそも この惑星から出ら