「わたし なんでここにいるんだろう?」
わたし なんでここにいるんだろう?
とつぜん訪れる空虚な瞬間。
疎外感、周波数が合わず退屈、無益で発展性がない、なのにしばらくその状態にいなきゃいけない…そんなとき、ディメンター༄ のようにそれはゆらーり冷え冷えと現れる。
いちばん強力な召喚トリガーは「尊重がない」ときづいたとき。
たたかうとか立ち去るとか、即反応できるようなわかりやすい悪意とは違い、配慮や尊重のなさが水面下から漂うような場では、アクションに迷いつつ待機状態になり、じわじわエネルギを吸いとられ…༄ ༄ ༄
あるときから、行動に迷ったときは
ことにした。
思考や損得勘定はあんまりあてにならないから、あくまでも直感で。
じぶんにとって創造的ではないと感じる場や出会いから次のすてきな展開がうまれることって、ほぼないとわかったから。
(多少のやりとりはあってもじきに消滅)
ましてや、うたうひと というディテールを持つわたしの場合、業界関係じゃない場では「ミュージシャン」への過剰で不躾な興味や、社交辞令的「うたってー」の無邪気な搾取が待ちかまえているという別の憂鬱がある。
とつぜん、無償の花、余興要員にされることは、うたに限らずどのジャンルのアーティストも経験するアルアルだけど、さらに追い討ちで「宣伝にもなるでしょ?」という、禁断の暗黒呪文がくりだされ〈あぁ、そなたもその種族でしたか〉と、たのしいはずの場でひとりモノクロに染まり、ドーバー海峡の白い断崖絶壁༄༄༄にたちつくすことになるのは目にみえている。
そんな、重たい予感(というよりお約束)と憂鬱をじゃらじゃらぶらさげながら出かけた先でたまたま「すごいひと」と出会い、和気藹々したところで、それはその場だけのもの。
もちろん、何も得るものがないわけではないし、参加した際にはできるだけはたのしもうとはする。
でも、エネルギや縁には法則があると体感してからは、ディメンターが出現するとわかりきっている場にわざわざ出向くことは減った。
必要な縁は普段の活動のなかにあるし、大切な縁は、偶然が重なり、抗えない感覚でたどりついた場所でちゃんと待っていてくれたりする。
それでも「わたしなんでここに?」がゼロになることはない。
前もって予想できることばかりじゃないし、家にいてもSNSからもひょっこり暗黒はやってくる。
そんなときは、じぶんの世界に集中する。つくる。
じきに復活できるかんたんな魔法。
存在の濃度って、外に求めても永遠にいたちごっこ。内側の密度で、外からやってくる虚無は埋められるんだとおもう。
リリィミンツ
SSMP
* ずっとウタうシゴトしています*
追伸
現在は、暗黒予感とは関係ない理由からも、プライベートのお誘いはほぼ断っています。
誘ってくださるみなさま、誤解なきようᵔᴥᵔ
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不意にディメンターがやってきたら聴いてほしい曲、配信になりました。