【ディズニー100】わたしとディズニー。
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ディズニーと共に30年間歩んできた気持ちの黒木りりあです。
本日2023年10月16日はディズニー社の創立100周年です。
「ディズニー100」と題してのイベントが今年は相次いでおりましたが、いよいよ満を持しての本日、という感じでしょうか。今日は日本時間で日付が変わった瞬間からX(旧Twitter)にて「#ディズニー100」がトレンド入りしていて、盛り上がりを感じています。
今日で100年、ということでディズニーの歴代長編映画作品の一覧を眺めてみたのですが、その歴史の凄まじさに圧倒されると同時に、自分の人生には常にディズニー作品が近くにいてくれたのだな、と改めて認識いたしました。私の人生においてディズニーとはどんな存在だったのか、今日は少しお話しようと思います。
映画館デビューはディズニーで
生まれて初めて映画館で観た映画がディズニー作品だった、という方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。私の映画館デビューも、ディズニー作品でした。
私が観たのは、『ヘラクレス』(”Hercules”)でした。
それまでは家のテレビでしか見たことのなかった映画を、大きな部屋の大きなスクリーンで、しかも知らない人と一緒に観る、というのは当時の私にとってはとても奇妙な体験でした。家では「テレビを見る時は部屋を明るくしてから見てね」なのに、映画館では真っ暗な状態で画面を見つめる、というのもとても不思議に思っていました。それから、部屋のあちらこちらから音が聞こえるのも。それでも、当時はすでに映画好きだったので、すぐに映画の世界に入り込んでしまいました。尊敬するアラン・メンケンさんの楽曲をいい音で聞けたのも、当時は嬉しかったですね。当時の貴重な思い出として、未だにパンフレットも大切に保存しています。あの時からもう25年以上も経過しているなんて、驚きです。
いつの間にか、映画館で映画を観るのは私にとって大好きな体験の一つとなりました。『ヘラクレス』を観た一年後にはお友達も一緒に『バグズ・ライフ』(”A Bug’s Life")を観に行った時のことも、よく覚えています。確か、映画館の最前列に初めて座ったのがあの時だと思います。最前列だと、座席の前にスペースがありますよね。なので、スペースをゆったり使ったり、途中で友達と席を交換したり、なんて自由なことをしていたような気がします。周りの方には迷惑にならないよう、だいぶ気は使っていたんですけどね…。反省しています…。
それ以降も、ディズニー映画を映画館で観るは何年もの間、夏休みの定番の一つになっていました。『トイ・ストーリー2』("Toy Story 2")が公開された時は、タイアップのプリクラ機が映画館に設置されていて、初めて一人で撮ったプリクラになったのも、よく覚えています。『ダイナソー』("Dinosaur")を観ながらポップコーンを食べたのも覚えているのですが、もしかしたらそれが初めて食べたポップコーンかもしれません。それぐらい、ディズニー映画と人生の「初めて」は寄り添っているんだよな、と感慨深くなります。
ディズニーで育った英語脳
私のはじめてのディズニーとの接触は、おそらく耳からだ、と記憶しています。生まれたときから、ディズニーの歌のCDをずっと聞いていたからです。複数のディズニーの名作の曲が収録されたベスト盤の一つで、あのCDが大好きで何度も何度も繰り返し聞いていました。
英語学習において早い段階で英語が聞き取れる耳を育てることが大切だ、とも言いますが、その理論で考えると、私の英語耳はあのCDのおかげで培われたものなのではないか、と考えています。
ディズニーアニメのビデオも、ろくに座れないころからよく見ていました。小さい頃は『白雪姫』("Snow White")がお気に入りで、髪飾りも持っていました。小さいから体力も観る力もなくて、観ている途中で眠ってしまうことも少なくなかったのですが、それでも幼いなりにちゃんと楽しんでいました。ディズニーのビデオは何本も持っていましたが、最初の頃はプラスチックではなくて神の箱に入っていたのを記憶しています。何度もビデオを出し入れしていると、どんどん箱がボロボロになってしまって。色もだんだんと薄くなっていって。セロテープで補強していたのですが、思い返すとわかりやすい劣化だったな、と。
ビデオの外側がプラスチックの容器に変ったのは、確か幼稚園生になってから。幼稚園のお遊戯会で『不思議の国のアリス』("Alice in Wonderland")が演目になった時に両親に買ってもらったビデオがプラスチック容器だったのは明確に覚えています。あの頃からお気に入り作品はアリスや『ピーターパン』(”Peter Pan”)、『101匹わんちゃん』("101 Dalmetians")など、イギリス趣味が出ていたのだな、と振り返って気付きます。面白いものですね。
世の中の流れがDVDへと移り変わって、中学生になった頃には『ハイスクールミュージカル』("High School Musical")や『シークレットアイドル ハンナ・モンタナ』("Hannah Montana")をはじめとしたディズニー・チャンネルブームが到来しました。私も例に漏れずディズニー・チャンネルにドはまりしていました。クラスの友達とディズニー・チャンネルの曲を口ずさんだり、コンサート映画を見に行ったり、CDを貸し借りしたり、と盛り上がっていました。日常的に英語の歌を口ずさむことは日常的に英語を発音することになり、必然的に英語力も鍛えられました。特に、舌と口が一番鍛えられたタイミングだったと思います。
また、どうしても最新の情報が知りたい、とインターネットを駆使し始めた時期でもありました。You Tubeでディズニー・チャンネルアメリカの予告編や先出時映像をチェックしたり、ミュージック・ビデオを観たり、TwitterやMy Spaceなどで好きなディズニー・チャンネルスターの投稿をチェックしたり、とリアルタイムで情報を吸収する、ということをし始めて、その習慣を定着させた時期です。英語の流行語やスラングなどもこの時期から意識するようになり、習得するようになりました。
もちろん、「ハリー・ポッターシリーズ」も私の英語学習に多大なる影響を与えてくれていますが、長年の継続、という観点で考えると、ディズニーのおかげで英語脳が培われた部分は非常に大きいと感じています。
ディズニーが提供する体験
日本で「ディズニー」というと、多くの人が思い浮かべるのが「東京ディズニーリゾート」ですよね。「ディズニーが好きです」と言うと、ほぼ100%に近い確率で「じゃあよく舞浜に行くの?」とか「どれぐらいの頻度で行くの?」と聞かれてしまい、「パークじゃなくてディズニー作品だったりキャラクターだったりが好きです」と答えざるを得なくなる日本の状況は、私の中では好ましいものではありません。ですが、もちろん東京ディズニーリゾートは大好きな場所で、頻度は高くなくてもいつだって行きたくなる場所であることには違いありません。
東京ディズニーリゾートに一番よく行っていたのは、小学校高学年の頃でした。それまでは親戚とワイワイ行くことが多かったディズニーリゾートだったのですが、あの頃は母と二人で気軽に行くようになり、そのおかげで未だにリゾート内の土地感覚が残っています。中学生ぐらいからは親と行くよりも友達と行くことが増えていき、その楽しみ方の変化に年齢の積み重ねを感じます。
私は絶叫マシーンが苦手なので、時に「ジェットコースター乗れないのにパークに行って楽しいの?」なんて訊かれてしまうこともありますが、私としては、あの空気感、世界観だけで十分楽しくて。ただお散歩しているだけでも十分楽しんでしまいます。リゾートのコンセプトになる作品は基本的にすべてなじみの作品なので、どこに行っても映画やアニメシリーズのことを思い出して、その世界の中に入っている気分を楽しんでいます。また、西洋の文化、歴史、建造物も好きなので、その観点でも十分すぎるほどに楽しめるのが、東京ディズニーリゾートの魅力ですよね。
ディズニーによるマーベル社及びルーカスフィルムの買収によって、「体験としてのディズニー」の幅がぐっと広がったのが、私の20代でした。
マーベル・スタジオによる、複数の映画で一つの世界観を共有する構想のもと誕生したマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)は、映画館での映画鑑賞をまさに「体験」へと変化させたように思います。「一度足を突っ込んだら、抜けられなくなる」と私自身だいぶ無駄なあがきをしていたのですが、『スパイダーマン ホームカミング』("Spiderman Homecoming")で陥落。ずぶずぶと沼に入り込みました。
MCUの徹底したネタバレ禁止令と巧みなプロモーションは、世界中で同時に映画体験を経験することを作り出し、『アベンジャーズ エンドゲーム』("Avengers: Endgame")で見事なサーガのフィナーレを作り出しました。その瞬間をリアルタイムで体験できたことは、後にも先にもない貴重な経験でした。
同じように二度と味わえない体験となったのが、『スター・ウォーズ フォースの覚醒』("Star Wars: the Force Awakens")でした。なんだかんだオリジナル3部作をビデオで見て、その後に新しい3部作が劇場公開されるようになり、と公開順でスター・ウォーズを楽しんでいた私。幻と言われていたエピソード7の公開は驚きと不安に満ちていました。
「世界同時刻公開」という前代未聞の試み。サーバー落ちするチケットで辛抱強く待機を続け、勝ち取ったいつもの映画館の一番良い席。ドキドキしながら公開日に映画館に行くと、ライトセーバーを持った人やジェダイの衣を身に纏った人々が終結していて、いつもの映画館なのにいつもとは違う空間となったその空気に、ワクワクが止まりませんでした。そしてカウントダウンの後にスクリーンに写し出される「Lucas Film」の文字に、その場にいた全員が自然と拍手と歓声を送りました。「ああ、これはもうただの映画ではなく体験だな」と感激した瞬間でした。
2019年からは東京コミコンにも顔を出すようになり、自分が好きな作品と同じ作品を好きな人がその愛を惜しみ無く表現し、それを共有する空間の体験もするようになりました。そして、その東京コミコンの場でいつも一番大きなブースを展開しているのが、ディズニーです。今年のコミコンも、期待しています。
ざっくり振り返ってみても、ディズニーは私の人生において様々な形で深く関わってきた存在です。これまでも形を変えて寄り添ってきてくれたように、これからはどのような形で寄り添っていけるのか、今から楽しみです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
また興味のある話題がございましたら、覗きに来ていただけますと幸いです。