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#7 なぜ英語を話すとき、完璧を求めてしまうのか。
水泳だと少し泳げると「泳げます」と言うのに、人はなぜか英語になると少しできても「喋れます」とは言わない。
昔、ドラゴン桜のシーズン1のドラマを見ていた時に登場した英語の先生(川口先生)が生徒にこのようなことを言ったシーンがあり、当時「確かに」と妙に納得したので、印象に残っています。
確かに、たいていの人は「私、全然英語ができない!」と言ったり、授業で生徒に教えている時も「自分は英語できないんで」という子が多かった気がします。
でも、実際は単語を1つも知らないというわけではなく、少しはできる場合が多いのに、日本人はどうしてか完璧ではないと自信をなくしてしまいます。完璧ではないと「話すのは恥ずかしい」という完璧主義なところが英語学習にとって一番の弊害になっています。
日本人特有の謙遜の文化もあって、話せても「いえいえ、そんな大したことないです」みたいな感じに言っているのかもしれませんが、どこかネイティブコンプレックスのようなものがあるように感じます。
私も英語がペラペラ話せなかったときは、海外の人に "Do you speak English?"と聞かれると "No"と答え、「自分の言ったことが理解できたんだから、できるじゃないか!」とよく言われていました。
なぜ完璧を求めてしまうのか?英語を自信をもって話せるようになるにはどうしたらいいのか。私なりの考えを書き留めたいと思います。
足を引っ張る失敗を恐れる風潮
まず、言語に限らず、なぜ「完璧」を求めてしまうのか。
私が海外から日本に帰国して、一番に思ったのは、失敗を恐れる風潮が潜在的に日本人の中にあり、言語に限らず「完璧にしなくては」とどこかで思ってしまっている気がします。
それは、きっと文化や習慣、価値観など様々なものが影響していると思います。もちろん、日本の良い文化や習慣もありますが、失敗を恐れる原因としては、以下のことが影響しているのではないかと思います。
《 1 》相手に迷惑をかけてはいけないという教え
例えば、学校生活でよく耳にするのが、この「相手に迷惑をかけてはいけない」という言葉。仕事をしていても「ミスはするな。お客様の迷惑になる」という教えです。
もちろん、お互いが気持ちよく過ごすためには相手を思いやる気持ちが大切ですし、相手のことを考えないのは良くないことです。しかし、人間、人に一度も他人に迷惑をかけないことなんてないのではないでしょうか。
迷惑をかけないと同じくらい大事なのは、お互いを許す気持ちや「お互い様」という気持ちのような気がします。
海外の友達に「迷惑をかけてごめんね」というと大体、「お互い様だよ」とか「今度はじゃあ困ったとき助けてね」なんて言葉が返ってきます。
人のミスを「迷惑」ととらえ、厳しくすると相手も苦しいし、結果自分も「きちんとしなければ」と完璧主義の連鎖が生まれ、お互いの足を引っ張っているように感じます。
とんでもない事件にならない限り、小さなミスはリカバーできるし、どうやってリカバーするのかを考えることに時間を使う方がよっぽど有意義に感じます。
だけれど、他人のミスを許せない、他人がミスすると白い目をむける、ミスを失敗ととらえる、ということが結果、失敗することは恥ずかしいと恐れるようになり、言語においても間違えた時に「相手に変に思われたら恥ずかしいから黙っておこう」となってしまうのではないでしょうか。
《 2 》完璧を求めるテスト
以前の記事で、日本の英語教育は英語の文法に焦点をあてすぎていてモヤモヤすると書きました。
失敗を恐れてしまうのは、学校での習慣なども多少は影響しているのかな?と最近では思います。
英語の場合、文法や単語の正確さに焦点を置いた授業を行っていると、どうしても正しく使えるかどうかということばかりに気を取られ、思うように話せなくなります。
また、文法や単語のテストがさらに追い打ちをかけます。なぜなら、これらのテストというのはたいていが「減点法」を用いているため、少しでも間違えれば減点されてしまい、まるで「その英語は正しくない」と無意識に言っているかのようです。テストで良い点数を取ることを求められている生徒にとって「小さなミスも減点になる」と必要以上にミスに敏感になって、使えなくなってしまっているのではないでしょうか。
また、学校現場において最近感じるのは、失敗をする場面が少ないということ。学校行事などはミスがないように教員や実効委員が一生懸命練り、失敗を事前に防ぐことが当たり前となっているし、むしろトラブルが起きた時の対処法などは教える機会のほうが少ない気がします。(トラブルが起きたら大人が介入する場合がほとんどです)
また、生徒に限らず、失敗すると詰められる場面が多くあります。詰める場合も、「意識が低い」や「責任感が足りない」などの精神論が多く、具体的なアクションの提示までには至らないこともあります。
失敗をしたときに挽回のチャンスがあったり、失敗をしたときにどのようにそれを乗り越えるかを経験したりしないと、失敗からの成功体験がないので、失敗を恐れて挑戦する気持ちは生まれない気がします。
失敗から学ぶことで前進する
さて、なぜ完璧を求めてしまうのか考えたところで、ではどうしたら英語を自信をもって話せるのか?
やはり、一番は失敗を恐れず英語を使ってみることだと思います。
先ほどのドラゴン桜に登場する先生も、日本の英語学習を水泳に例えて、このようなことを言っています。
水泳を覚えるのに陸の上で水泳のフォームを教えて、練習させているようなもの。完璧になるまで陸で練習しても、いざ泳ぐとなると水が怖くてせっかくのフォームも生かせない。水泳を覚えるにはまず水に飛び込むこと。まずは犬かきでもなんでもいいから前進すること。そのうちいろいろフォームを試したくなる。フォームも身に付き自然と泳げるようになる。
まずは使って伝える努力をし、その都度改善し前進することが英語学習には大事だと私も思います。「話す」「書く」でもよいので、完璧を求めすぎずまずはアウトプットしてみるのが大事です。
そして、声を大にしていいたいのは、文法や単語が多少間違っていても案外通じる!ということ。
以前、私も英語が話せなかった時、授業中にトイレにどうしても行きたくなったのですがが、先生に行ってよいかを聞く英語が分かりませんでした。なので切羽詰まった私はとりあえず
”Me want go toilet. Go ok?"
と言ったわけですが、相手には伝わりました(笑)
そして、
"Oh, you want to go to the bathroom? You may go!"
と言われ、ここで私は初めてtoiletではなくbathroomと言えばいいのか、want goではなくwant to go を使うんだな、先生が言っていたmayってなんだろう?と学ぶきっかけとなったのです。言わなければ、学ぶきっかけも得られず、大変なことになっていたでしょう。
単語を並べると、言葉は少し乱暴になってしまうかもしれませんが、一生懸命さや失礼にならないような態度があれば大丈夫だと思います。正確さよりも主張する力のほうが案外大切だったりします。私は今シンガポールにいますが、シンガポール人は英語の文法などが間違っていても堂々と話すし、どんどん主張します。それでもコミュニケーションは問題なく取れています。
とは言っても、なかなか勇気がででない場合もあると思います。
私は話す前に心の中でよく "I can do it!"と唱えるようにしていました。
そして、今は生徒がもし頑張って伝えようとして伝わらなかった場合でも
"Nice try!"と極力言い、ドラマのNGシーンを参考に、 "はい、カット~。OK OK, テイク2いこう!"と言うようにしています。
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☆簡単プロフィール☆
千葉県出身。幼少期、小4〜高校卒業まで海外で過ごす。国はラオス、ニュージーランド、ネパール、アメリカの計10年。日本に帰国後、教師という仕事に興味はあったが、教員免許は取らずに大学を卒業。その後、発達障害児サポートのベンチャー企業に就職。やっぱり教師という夢を捨てきれず、1年で退職。その後、塾で働きながら通信大学で教員免許を習得(中高英語)国際バカロレアに興味を持ち私立中高一貫校の英語教員兼MYPコースの担任&教科担当に。現在は夫の転勤でシンガポールに在住。TESOL修士課程を取りながら英語×探究のメソッドを深めるべく海外でできることを模索中。