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ワタシノコト

東京生まれ東京育ち。東京・渋谷区に小2まで暮らしていました。
幼稚園がほぼ竹下通りど真ん中にあり、懐かしい光景といえば、タレントショップやクレープ屋さん。
今はかなり様変わりしてしまった表参道。遠足は明治神宮代々木公園でした。キディランドは大好きなお店で、何かご褒美を買ってもらうとしたらあのお店でした。

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懐かしい風景

日曜日などは母に連れられて、東急デパートの屋上でよく遊びました。500円を渡されて、母が買い物に行っている間に、弟と2人でそこの乗り物やゲームで遊んでいた記憶があります。わたしにとって懐かしい風景って都会なんです。

その後、父が「もし大地震が起きたら、山手線内は危ない」ということで小3で杉並区に引っ越しました。杉並区は大学を卒業して渡米するまで住み続けた街となりました。

田舎が苦手

このように育ってしまったせいか、田舎がどんなものなのか分からない子供となってしまいました。「田舎」って本で出てくるようなところ。写真でしか見ないところ。星が降るように見える場所なんてそんなにあるもんじゃない、と。
父の故郷は地方なのですが、鉄工の街で自然とはかけ離れた土地でした。遊びに行っても東京よりは緑はあるけど、空気は綺麗ではなかったしいつもどんよりした天気だという記憶しかないです。
母の実家は東京近郊なので、特に田舎という訳ではありませんでした。
そして都会育ちのわたし達きょうだいは、喘息持ちとなってしまい、典型的な都会っ子に。
特にハウスダストが顕著に駄目で、古い田舎の家屋に行くと必ずといっていいほど発作を起こしました。父も母も喘息の辛さを知らないので、田舎に行くのを嫌がるわたしをただのワガママ病だという始末。
初めて行った母方の親戚の田舎の家で、喘息が起きつつも言うとまた怒られると思って黙って過ごしてしまい、ほぼ寝られずに次の日にふらふらになったのを覚えています。

大学で芸術を学ぶ

小学校の時に学芸会でやった、劇団四季の「魔法を捨てたマジョリン」で演劇にハマってしまい、そこから舞台が大好きになりました。家の裏にあった児童館の演劇クラブに入って、楽しくお芝居をしていました。
中学時代は健康的にバドミントン部に入り(実は小学生からクラブに入って本格的にしていた)3年間バドミントンに情熱を燃やしましたが、一方で舞台への思いも断ち切れずにいました。小学校5年生から始めたバレエは、始めたのが遅かったせいもありなかなか上達せず、それでも大好きで頑張ってはいました。
高校でようやく念願だった演劇部に入部、かなりがっつりと本格的に頑張りました。そこから本当は女優を目指したかったのですが、親の大反対に合って表立って目指すことはやめました。

こっそり受けた大学の演劇専攻に入り、入ってしまえばこっちのもん。思いっきり大学生活をエンジョイさせていただきました。この時もまだクラシックバレエはずっと続けていました。

家出同然でニューヨークへ

また細かいことは書きたいなと思っていますが、飛行機大嫌い、東京大好き、海外に興味ない!というわたしがどうしてアメリカにこんなに長く住んでしまうことになったのか。きっかけは大学の卒業旅行で友達4人で行ったヨーロッパ旅行でした。わたしは伊豆の温泉に行きたかったのに、多数決でヨーロッパ。これがわたしの人生の転機となったのです。

絶対に親には反対されることはわかっていたので、1年社会人をして自分でお金を貯めて、短期でもいいから一度住んでみようと計画を進めていました。
そして1年後の春。留学決定先のニューヨークへ!3ヶ月限定でビザなしで渡航。
3ヶ月のつもりが半年、半年の約束が1年。そして英語をちゃんと学びたくて大学のESLへ1年行き、そうすると大学へ行きたくなり3年次に編入、気がつくとESL時代から付き合っていたアメリカ国籍の旦那様と結婚して、2017年に永住権を取得しました。

もしあの時、親の反対を押し切って渡米しなかったら今のわたしはなかった。不安はないと言えば嘘になるけど、1年計画し続けて「やっぱりやめよう」という気持ちには全くなりませんでした。目指したから1年頑張れたんだと思います。
あの日の飛行機からの景色はいまだにはっきりと目に焼き付いています。

ウィリアムズバーグに住んで19年

渡米してすぐ入ったシェアルーム。日本人の人がオーナーで、全く英語のわからないわたしでも安心できました。
そこがブルックリンのウィリアムズバーグ。Lトレインでマンハッタンからブルックリンに入って2つ目のとても便利なエリアなのですが、当時はまだ日本人どころか白人、アジア人さえ見かけない超ローカルなところでした。
駅からのメインストリートを外さなければ安全でしたし、ユニオンスクエアからも10分で帰ってこれる良い立地条件でした。
2001年当時、ニューヨークに20年以上住んでいた旦那様(当時は友達)さえ「そんなとこに女の子1人で夜帰って大丈夫なの!?」と本気で心配されていましたが、わたし自身は危ない目に合ったことはただの一度もありません。

そんな旦那様が住むところがなくなって、ちょうど空いていたわたしのアパートに入居して、気がつくと彼がそのエリアを気に入ってしまったわけです。彼曰く「昔のイーストヴィレッジのよう」だそうです。
2019年の今となっては、新しい綺麗なビルディングばかりになっていまい、その雰囲気はなくなってしまいましたが…

息子が1歳の時、今住んでいる新築のコンドミニアムを購入。その時はまだ安かったのです。それが今や価値が高騰し、今売ればとんでもないお金持ちになれるのですが、もう引越しは絶対にしたくないしここがものすごく気に入っているので売る気は毛頭ありません。今の生活を楽しみつつ、何十年後にはなるけれど次に行きたいなという場所もあるのでまたおいおい書いていきたいと思います。

明日から

大雑把にですが、以上がわたしが今に至るまでの経緯です。
またそれぞれのターニングポイントの詳細なエピソードはぜひ書きたいなと思ってますので、よろしければお付き合いくださいね。

明日から日常の色々を呟いていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。なんだか少しワクワクして楽しくなってきました。


いつも応援ありがとうございます♪ アメリカは24時間子供につきっきりなので(シッターなどを頼むなどしないといけない)、子供といながら自分なりに楽しく頑張っていきたいと思っています。 サポートもありがとうございます!助かっています。 日本に帰る費用、新しい機材の購入にあててます。