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わたくし、66号線の中の人は「さやお」という名前で活動しています。というか、周囲の友達にそう呼ばせています。TwitterなどのSNSも「さやお」で更新していますね。
前回の続きです。 「小説家に憧れて新聞記者になった」
新聞記者である父マサミの仕事の関係で、さやおは1990年から3年間を旧ソ連はモスクワで過ごしました。 5歳だった私は当初、毎日泣いて暮らしていました。大好きだった祖母や幼稚園の友達と急に引き離されて、見たことも聞いたこともない異国の地に連れてかれた気がしたからです。
これは私が中学2年生だった頃。2度目のモスクワ滞在での話。 モスクワの自宅の片隅に転がっていた、ある一冊の本を発見しました。チューリップの絵が可愛らしい表紙には日本語で「キッチン」と書かれていました。 作者の名前は「吉本ばなな」。この日本を代表する作家は、さやおの人生において長く影響を与え続ける人物になります。
こんばんは〜。さやおです。 今回は、2011年の文学フリマに「幻影66号線」として出展した時の様子を、当時の写真とともに振り返りたいと思います。