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【エッセイ】シュレディンガーの子供

私は母が18歳の時に生まれて、その2年後に弟が生まれた

それからは常に「お姉ちゃんなんだから」と言われていた

ちょっとしっかり者で好奇心あふれる”お姉ちゃん”だったと思う

自分が無能だと理解した日

5歳くらいの頃だっただろうか

こっそり父の書斎に行き、難しそうな本をくすねてこっそり読む

それがわたしのお気に入りの遊び方だった

当時はまだ発達障害やADHDなんて言葉も存在も知らなかったけど

沢山の本を読んで理解してしまった

自分は無能な人間なのだと

本を読むことで見聞を深めることができるけど、ときに真実をストレートにぶん投げてくる

普通の人が宿題を忘れないこと、約束をちゃんと守ること、椅子にずっと座れることを知り

そして自分が人より劣ってることを理解した

子供の皮を被ることを選択した子供

今となってはそんな心配はいらないと呆れてしまうけど

私は幼稚園で「ちょっとドジだけど、そこそこ良い子」だった

でもこの”ドジ”は子供だから許されているんだ

そう思った私は大人びた発言を控え、本を読んでいることを隠し

大人にとっての理想の子供を再構築した

サンタクロースを信じ、欲しいお菓子をねだり、ぬいぐるみをプレゼントされたら笑顔でありがとうと言う

良い子でいればきっと捨てらることはないだろう

中身が大人か子供かは分からない

大人になって振り返ると、私は色んな大人に気を使って生きてきた

子供という箱の中に必ずしも、子供が入っているわけではない

大人という箱の中に必ずしも、大人が入っているとも限らない

子供はいきなり大人になるわけじゃない

大人と子供が重なり合って、そのうち大人ばかりが出てくるだけだ

そう感じるようになってからは、なんとなく子供も大人と同じように接している

大人になると忘れがちなこと

子供って案外複雑で、色んなことを考えている

振り返ってみてほしい

あなたが子供の頃に大人に気を遣ったり、遠慮をした事はなかっただろうか?

本当にただ純粋に100%が子供だっだろうか?

私はあの時の選択を後悔してないし、両親は普通に育ててくれたことも理解している

それでも、ふと考えてしまうことがある

もし対等に接してくれる大人がいたなら

もし私の暗い箱を開けてくれる人がいたならば

ちょっと違う人生があったのかもしれない

そんな事を思いながら、今日も私は誰かの箱をこじ開けようとする

最後まで読んでいただきありがとうございます

ときどき息抜きがてらエッセイっぽいものを書いてます

本業はライターをしているんですが、noteは0からはじめました

わたしも初心者の一人なんですがライティングやnote攻略について書いてます

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