見出し画像

【エッセイ】”ありがとう”と”ごめんさい”の距離

私は20代前半の頃、1年ほど中国で過ごした

その頃の中国は今よりもITは発達していなくて、もう少し閉鎖的は雰囲気が漂っていて

当時働いていた会社は中国の大連から技術者を採用をしていて、武漢にはアウトソーシングするための支社があった

そこで私はシステムの品質管理という名目で、1年ほど滞在することになった

中国で大歓迎をされる

まず現地に行くとめちゃくちゃ歓迎された

歓迎されすぎて黄金色に輝く子豚がまるっと一頭テーブルに出てきた

あとシャチホコみたいな姿をした揚げた川魚も出てきた

上司は白酒を飲まされ一瞬で潰されている

宴会の席でお酒を注いだり、食事を取り分けてあげるとみんな「謝謝!」「ありがとう」とお礼をいってくれる

最初はびっくりしたけど、みんな気の良い明る人たちだった

文化が違えば言葉も違う

中国に来て1ヶ月、私はめちゃくちゃ中国に馴染んでしまった

もともと田舎育ちなのもあって、勧められたものは割となんでも食べたし

中国では料理は力仕事=男性の仕事というのが一般的で

簡単な料理をしてお弁当を持って行ったり、お茶を少し多めに淹れてお裾分けしただけで

この子はなんて働き者なんだ!と、良い方向に勘違いされてしまった

私が中国語わからなくても、とりあえず声かけてくれる(分からないけど!)

困ってたら、大声で助けてくれる(全く分からないけど!)

そんな日々の中でちょっとした変化があった

親友と呼べるような仲の良い女の子ができたのだ

アニメが好きで少しだけ日本語ができる彼女と

一緒にごはんを食べに行き、愚痴を言い合い、アニメの話をした

彼女が泣いた理由

そんなある日、彼女がお菓子をくれたので「謝謝!」と言ったら

「なんでそんな事でお礼言うの?」と怒られてしまった

更にその後ぽろぽろと泣き始めてしまい、私はあわてて日本語が話せるコミュニケーターを呼んだ

「あぁ、仲良い人と思ってるのに”ありがとう”や”ごめんなさい”って君が言うからだね。」

中国の人はタクシーの人やお店の人に「謝謝!」とよく言う

でも家族、恋人、友達など親しい人には言わない

日本の感覚で言えば「謝謝!」は「ありがとう」ではなく、「ありがとうございます。」みたいな畏まった表現なのだ

中国の「ごめんなさい」も「完全に私が悪いです、どうにでもしてください。」みたいな、極端なニュアンスなのだ

同じ言葉でも違う意味になる

言葉というものは本当に難しい

何年経っても言葉というもに私たちは一喜一憂する

例えば同じ日本に生まれた人間でも、友達という定義は

「連絡先交換したら」って人もいれば
「毎月会う人なら」という人もいる

「ありがとう」や「ごめんなさい」という私たちが良かれと思って使っている言葉も

全ての人が同じ定義とは限らないのだ

それを知ってしまってから中国の人に「謝謝!」って言われると

「まだ少し距離があるんだな」って思うようになった

親友とのその後

あの日、涙をぽろぽろ流していた親友は、結婚して子供が産まれたんだけど

旦那さんの仕事おの関係もあって別の州に引っ越した

あれから何度か遊びに行ったけど

彼女は私に「ありがとう」と「ごめんなさい」を言うようになって
私は彼女に「ありがとう」と「ごめんなさい」を言わなくなった

あの時と変わらぬ距離で笑い合えている

他にもこんな記事を書いています!

エッセイからノウハウ記事までカテゴリーを決められず幅広く書いています

noteの閲覧数が増えなくて悩んでいる人、ちょっとこちらのnoteをのぞいてみませんか?

有料記事が売れなくて迷走している方、こちらへどうぞ!

借金返済中に節約したスマホの通信費(クレカ作れない人・キャリアブラックの人もOK)

息抜きにエッセイなんかも書いてたりします、試行錯誤中

よかったらSNSでも繋がってください!
たまに通知見落とすのでよかったらメンションください🎈
※自己紹介記事の下にあります

いいなと思ったら応援しよう!