夜の美術館
こんにちは。
一名様ですか。
ただいまチケットをご用意しますので、少々お待ちください———
それにしても今日はたいへんよいお天気ですね。
昔は雨の中に美術館へ出かけていくのが風流なものだと思い込んでいたんですが、夜を失ってからは、こう、おてんとさまが幅をきかせている時のほうが似つかわしいと思うようになりました———
はい、こちらのチケットとパンフレットをお持ちになって。
どうぞゆっくりとご鑑賞ください。
五つの扉、どちらからでもお入りいただけます。
一.森の夜
扉を開けると、土の匂いがした。
ちちちちちちちち ちちちちちちちちち
ぴぴぴぴぴ ぴぴぴぴぴ
すわすわすわすわすわすわすわすわすわすわすわすわ
ぎっぎっぎっ
暗い靄のかかった視界の中から、音が近づいたり、遠ざかったり。
安定した伴奏の上にクレッシェンドとデクレッシェンドが気まぐれにのっかるような。
夜にもたくさん起きていたんだ。
しだいに目が慣れてきたけれど、近くにそれらしい生きものの姿は見えなかった。それでも、たくさんの何かが、きっとだれかとつながりたくて鳴いている。
目をつむって耳を澄ましていると、上の方で葉っぱのこすれる気配がして、そのあと腕を優しく風が撫でた。
ひょっとしたら、この時間差が夜ならではなのかもしれない。夜には少しずつ、いろんなものがずれているといいのに。
近くの木に触ると、しっとりと湿っている。
両腕を回して抱きついたら、おばあちゃんちの納戸にこっそり入ったときの匂いに似ていた。
おもいきり息を吸い込んでみたら、今度は夏休みの朝の匂いがした。
きっと、首振りの扇風機が運んでくる縁側の。それとも、ほっぺに痕をつける古いござの。
二.雪の夜
扉の前に、ぶあついコートと長靴が置いてあった。
「ご自由にお使いください」
ちょうど良さそうな大きさのものを選んで、中に入った。
一面の雪。
あたりには雪以外何もないのに、森の夜よりずっと明るい。
息の白さがはっきり見えた。
パンフレットを開くと「これを、『雪明かり』といいます」と書かれている。積もった雪の反射で、薄明るく見えるらしい。
空には、満天の星がきらめいている。
星の光が反射しているのだろうか。
弱々しいけれど、こんなにもたくさんあるのだから。
長靴で積雪を踏んでみた。
音はしなかった。さくり、とも、ずぶり、とも。
ただ柔らかく雪が長靴を飲み込んだ。
——しん、としている。
しんとしているというのは、静かなことではないのだな、と思った。
静けさを超えた先にある、無。息が止まるくらいの無。鼓膜が怯えて、音を求めている。
私は大げさに息を吸い込んだり吐いたりしながら雪の中を進んで、雪の夜の部屋を出た。
三.雨の夜
傘をひらくと、耳のそばでパチパチと雨音がした。
遠くに電車と、水たまりをはじいて走る車の音が聞こえる。
夜に聞く雨は、夜のない世界よりずっといい。すべてのものの輪郭をはっきりさせてくれるから。
目の前には繁華街のように低い建物が並び、あちこちでネオンサインがにじんでいる。
雨によって夜空に溶け出したカラフルな光たちをずっと見ていると、涙が出てきそうだと思った。泣き明かした日の、ぼやけた視界に似ているからかもしれない。
地面に視線をうつすと、でこぼこのアスファルトに白い光が分散して、まるで道しるべのようにかがやいていた。
四.月の夜
みずうみの水面に、月影が落ちている。
「月の光のことを『月影』、また、星の光のことを『星影』といいます。
なかでも月光は人々に幻想的なイメージを与え、音楽や絵画などの芸術分野でも多く取り上げられていました」
と、パンフレットに説明書きがあった。
私は、みずうみの畔にそっと近寄って、水面に自分の顔をうつしてみた。
それは鏡で見るよりずっと青白くて、棺桶をのぞいたように無機質で、確かに私のはずなのにそれをのみこむのには抵抗があった。たったいま水の底から浮かび上がってきた、全然別人のデスマスクみたいだ。
急にみなもが揺れて、死人の顔がぐにゃりと歪んだ。にやりと笑っているように見えた。怒っているようにも見えた。
私はぞっとして、早足で出口の扉を目指した。
後ろから怪物が追いかけてきて、いきなり肩をつかまれるのではないかという恐怖に怯えながら。
五.海の夜
海の夜は、どの夜よりもいちばん暗かった。
波が光をさらっていってしまうのかもしれない。それとも、深い深い海の底に眠らされているのかも。
すみずみまで広がる真っ黒が、すべてを飲み込むように深くたたずんでいる。
ざざ
ざざ
砂浜に座ってしばらく海を眺めていた。
吸い込まれそうで怖いのか、吸い込まれてしまいたいのか、自分でもよくわからなかった。
そうしながら、先月死んでしまった友達のことを考えた。
「こんどの土曜日、夜の美術館へ行こうよ」
あまり興味がなかったので、用事があるからごめん、と断った。
その子は日曜日に飛び降りた。
雨の日だった。
暗い海を眺めていると、ふと、死んだ友達と話せそうな気がした。
ねえ、げんき。
と問いかけて、元気なわけないか、と一人で笑った。
——もし晴れていたら、死ななかった?
と、聞いてみた。
ここへ一緒に来ていたら、とは聞けなかった。
夜の海は、何も答えなかった。
ざざ、ざざと、強くも弱くもない波を足元へ運んでくるばかり。
パンフレットを開いた。
「まだ夜があったころ、夜の海は人の死をさそうといわれていました。死にたくなった人が、海を選ぶことが多かったためです。
けれども、海はすべての母でもあります。生命は、海から誕生しました。
それから、波の音は、お母さんのおなかの音に似ているといいます。
ひょっとしたら、人生に疲れてしまった人は、まだ目が見えず、まっくらな世界で安心していた頃にただかえりたくなってしまうのかもしれません。
実際に死に場所を求めて夜の海へ来た人の多くは、ちゃんと家へ帰っていったといいますから」
私は立ち上がって、砂浜をぐるりと歩いた。
「夜の海で、花火、してみたいな」
その子が言っていた。
目の慣れないほどまっくらな海の夜は、目を閉じても、開いてみても、ただ寄り添って守るように、私の心の中をじっと見つめていた。
*
この世界から夜が失われたのは、私が三歳のときだ。
地球は、科学者たちにしか気づかれないくらいゆっくりと、回るのをやめた。疲れてしまったのかもしれない。
地球のこちら側で、ある日、太陽は沈まなくなった。もう半分のあちら側には、太陽の光が届かなくなってしまったらしい。
日光というものさしでの、一日の境目を失った私たちは、昼も夜も夕方も明け方も同時に失った。
夜を知っている大人の何人かは、夜を愁えて、夜を思い出しながら夜の美術館を作った。
広いひろい美術館は、最初のころ、夜をなつかしむ人でいっぱいだったらしい。
私にとって夜は、生まれてからずっと無いのとほとんど同じだった。夜がなくても、お母さんは寝る前に絵本を読んでくれたし「朝ごはん」も毎日作ってくれた。
でももし、いつか地球が休憩をやめて、ふたたび回り出したら、私は夜のない世界のことを忘れてしまうのだろうか。
このうつくしい夜の美術館のことも。
それから、夜を待たずに死んでしまった彼女のことも。