高校生 9

そんな高校生活を送る上でも一緒に過ごしてくれる友人がいた。

グループを抜けてお昼ごはんを別々で食べるようになっても、高校生活のほとんどを一緒に過ごした友人がいた。一緒にバイトをしたり、大阪に行ったり、ライブに行ったりした。体育の授業は卓球を選択して、ラケットを握り締めて2人でずっと語り合った。ロードレースは100位と101位を目指そうとして最後に2人に抜かされたら達成だと言いながら102位と103位になった。人当たりの良い彼女のことを嫌いな人はいなかった。先輩からも後輩からも同い年からも好かれる彼女を純粋に尊敬した。私が呼び出される姿を真顔でいじり、私が悩んでる時は意見はくれなくても安心感をくれた。人生で初めて純粋に対等だと思えた友人だった。私は孤独でいることで壁を作り、彼女は八方美人でいることで壁を作った。

高校3年生の頃、彼女はバイクにのめりこんだ。心配性の彼女の母親が認めることは無かった。バイトを掛け持ちして教習代を貯めて、自力で免許を取得した。彼女は誰にでもいい顔をするし、ゆえにきつい言葉で笑いながらイジられ、笑いながら傷つくタイプだった。でも自分のなりたいものは曲げない強さがあった。それもちゃんと自分の力で叶えていっていた。私は当たり前のように教習代を親に出してもらい、娯楽のために親にたびたびお金を借りていた。他者から見たら、私はブレない芯のある人間だった。でも18歳の私は責任も取れない口だけの子供だった。本当に芯のある人間は彼女のような人のことを言うのであろう。

高校時代、私は日々孤独を感じていたけれど本当の意味で孤独になったことはなかた。この先ちょっと悪いことも一緒に楽しめる悪友に出会ったからだ。グループを離れた後、お弁当を一人で食べることにならなかったのも彼女のお陰だった。同じ中学の3人組の中に私1人、もはやなんの話をしてきたかすら覚えていないが4人でお昼を過ごした。彼女はいい意味で深く他人に干渉が無かった。そんな彼女といるのは心底気が楽で、26歳になったいまだに本当の意味で心のうちを言えるのは彼女ただ一人だった。他人なら軽蔑されることでも、彼女は深く考えずに受け止めるであろう。彼女は異性関係の遊びが激しかったが、そのエピソードトークが毎回面白かった。「男遊びとかあんまりできないと思うから、代わりにやるから将来美容師になったときネタにしていいよ」なんて言ってくる彼女がたまらなく好きだった。

高校生活はこの2人のお陰で、私はひとりだったけれどひとりでは無かった。高校生活の中で見つけた財産のうちの1つだった。



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