#書く習慣1ヶ月チャレンジ Day19 -自分があまり賛成できない常識-
書く習慣1ヶ月チャレンジ
テーマは、「自分があまり賛成できない常識」
常識、って改めて考えると難しい。
常識であるとされている事が、自分の中に染み付いていると、何が多数派で何が少数派なのか分からなくなる。
これくらい常識でしょ?という言葉は、これくらいは殆どの人が知ってるんだから、あなたも知ってて当たり前でしょ?ということだと思っている。
ところで常識ってそもそも何なんだと言葉を調べてみると、こう書いてあった。
「とくに反省することなく」って表現が面白い。
省みることもせずにそれが皆の共通認識であると思っている事が、常識という事なのか。なんという皮肉。
んー、賛成できない常識。
「学校に行くということ」
( これは常識と呼んでいいのか。)
私はイジメにあった事もあるし、高校の時に部活動が嫌すぎて不登校にもなりかけた。転校をして絶望したし、死にたくなった過去もある。
日本は幼稚園や保育園に行って、小中高と学年を上っていくのが当たり前だ。
けれど、それは絶対にしなければいけないことなのかなと常々思っている。
小学校の頃、夏休みの楽しみは昼ドラだった。
井上真央ちゃん主演のキッズ・ウォーというドラマを毎日見ていた。
その中で、フリースクールというものの存在を知った。
ドラマの中でフリースクールが出てきた経緯は覚えていないが、学校以外にも学ぶ場所があるんだということを私は早い時期に知ったように思う。
知ったからと言っても、結局は公立の学校に通って数々の困難にもぶちあたってきたのだけど、頭の片隅に他の場所があると認識をしていた事は良かったのかもしれない。
私は子供を持ったことが無いので、子を持つ親の気持ちは想像できない部分もある。
だから、独り身の想像の意見にはなるのだけど。
コロナ禍で不登校になる子の数も増えているし、自ら命を絶つ子供もいる中で、学校という箱を強制する必要は無いんじゃないかなぁと思う。
何らかの理由で学校に行けない、行きたくない、そんな子が自由にのびのびと生活出来る環境が、他にあってもいいんじゃないだろうか。
イジメであったり、勉強についていけない、もしくは勉強が出来すぎて物足りない子もいるだろうし、人と同じことをする事が苦手な子も、大勢の人の中にいる子が苦手な子も、沢山の個性がそこにあると思うから。
その芽をひとつの箱に押し込むことで、摘み取る事がない世の中になればいいなぁ。
常識、とは少し離れてしまったかもしれないけど。
当たり前を疑う気持ち、省みる気持ち、持っておきたいなと思います。