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いつも掌の内。カンナガラ 惟神

【伊勢】1日目
毎年年末恒例のお礼参りと
先祖へのご挨拶。
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いつものルートで
いつもの行動。
順番さえも
いつも通り。
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まずはここから。
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.今年も
空気感がピリッと
澄んでいて、濃紺の
宇宙みたいでした。


本殿、社殿の写真は失礼になると聞いてから撮る事はなくなったので、差し支えない場所の写真。


毎年、この階段を登ると、一年を振り返ります。何度登ったかなあ?


1年が早すぎて、何をしていたっけ?と
いう思いで、今年は特に呆気に取られています。
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. 去年はやり切って大満足し、
今年は自分の事は満ち満ちて
ここ数年飽きているというとても良い感覚だったので

心から他者貢献をしたい思いに注ぎました。
自分が満ちながら、それを人の為に使いたい。
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満ちたその先、それを何に使うか、
結局他者や社会や自然へ。
それは喜びなんだと私は確信します。
なんのために、自分とその境界線から
外があるようにみえるのか?
究極をいえば、この宇宙に存在するのは我のみ。
の哲学が好きだからこそ、
存分に自分以外に貢献できると、満ち方が異次元になる。
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それが嬉しい。
これを極めていけたらなあ。
ポンコツだもん。
だから全て( 天之御中主神)の掌の中で生かされている。
の意味が染みるのです。



生きているうちは
生かされている( 天之御中主神の掌のうち)
もし何かを見出せず戸惑い続けている
人がいるならば
理由は自分で考える必要は
ないんじゃないでしょうか?
そのまま生きていてもいい。
生かされているのだから。
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気楽に気軽にいながら
命が嬉々として運ぶその場所へ
向かう生命の旅を
みんなしている最中だなぁ。
惟神、カンナガラ。
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ここも恒例。内宮へのバスの時間を待つ場所。偶然にも去年と同じ時間帯のバスに乗ることに。ちょうど良い配分。


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