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過去の私から今の私へ

きっかけは、私の大袈裟な思い込み。
私が幼い頃、家族や友達、それらの知り合いはよく妹の容姿を褒めていました。
「どうして、私は何も言われないのか」「私はもっと優れた容姿でないといけなかったのか」「どうして私は報われないのか」繊細な私は毎晩毎晩泣いていました。

中学生になり、お年頃の真っ只中。幼い頃のトラウマを引きずり、軽はずみに食事制限を始めました。みるみるうちに体重は落ちていき、喜びを感じていました。その喜びから、行動はさらにエスカレートしていきました。周りから給食を残していると思われたくないため、隠れて食べ物を袋に詰め、家まで持ち帰り、隠れて捨てていました。また、痩せるために、運動していると思われたくないため、隠れて過剰な運動を行っていました。さらに、まだ幼い妹が外で運動しようとすると、心臓が飛び出しそうなほど、不安感が押し寄せ、彼女の行動を抑圧しました。この時、体重は30kgを切っていました。「私は何のために生きているのだろう」「こんな生き方馬鹿馬鹿しい」「もういなくなった方がいいのではないか」とさえ思うようになりました。

そんな中、転機が訪れます。それは素を出せる友達ができたことです。彼女は捻くれている私を許容してくれました。彼女となら、くだらないことで笑い合うことだって余裕でできました。彼女と楽しい毎日を送り、私の拒食行動はいつの間にか治っていました。彼女とは今でも親友であり、私は彼女にとてつもなく感謝しています。

しかし、中学を卒業し、お互い進路が別々になると、私には無力感が戻ってきました。「高校生活面白くないな」と感じているうちに、幼い頃のトラウマまでもが戻ってきてしまいました。そしてまた、私の拒食行動が始まりました。またもや、過剰な食事制限と過剰な運動で、私の身体は痩せ細っていきました。さらに、鬱症状も出て、妹の行動に制限を与えました。

そのような行動をしつつも、私の心のどこかのは「このままではいけない」「これ以上妹を傷つけたくない」などと思っていました。そこで、私は一人で考えに考えました。そして、不意に、頭の中で考えがとある考えが浮かびました。「私は大切な妹を苦しめている、それは同じように自分のことも苦しめているからではないか」「自分自身の愛し方を分れば、人を支配する必要がなくなるのではないか」と。

そこで私は「自分の身体を大切にする」という意味で、ボディメイクを始めました。最初は食べることがとても恐怖でした。しかし、一度勇気を持って行動すれば、それが習慣となりました。メンタルもいつの間にか安定していき、「自分を大切にする」という意味がわかった気がしました。

今となっては、トレーニング歴3年半ほどになりますが、自分の機嫌は自分で取ることができています。とても幸せです!

忘れてはいけないことは大切な妹にトラウマを与えてしまったこと。

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