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わたしが手放したあの日のモノたち
おはようございます。
ロフトにしまい込んだダンボールをたまーに開ける日々を送っている。わけでもない。
先日、ここ半年は使っていないであろうアイテムを手放した。
心のどこかにはあったその存在たち。
だけど、いまの私にはもう必要ではないと感じたので、思い切って手放した。
そして見えてきたものは
私はずっと自分ではない何かになりたかった
ということ。
何かしなければ、何かにならなければ、自分は何者か、自分がしたいことは何か?
変わらなければ!答えを見つけなければ!
とずっと思っていた。
心理学、お茶会、バッチフラワーレメディ、CITTA手帳、レイキ、読書、新月と満月のアファメーション、占星術、とにかく紙に書き出す、子供の頃好きだったことを生活に取り入れる、嫌々やっていることをやめる、などなど、、
良さそうなもの、気になるものはどんどん試してみた。
そのどれもがいまの私に影響を与えているのは確かだし、そのどれもが必要だったのかもしれない。
だけどそこを経て、いま思うことは
自分の心ときちんと繋がっていれば
様々なアイテムは必ずしも必要ではない
ということと
何かになる必要など最初からない
ということ。
ありのままで良い、そのままの私で良い
そうずっと言い聞かせていた私だけど、最近になってやっとそれがストンと心に落ち着いた。
ありのままで良い、そのままの私で良い
ということがようやく頭で、体で、心で、
私という全てでわかったのだ。
特にもがいた2017年から3年。
長かったようで短く、短いようでとても長かった。
答えを探し、見つけたと思ったらこれじゃない。 誰かお手本がほしい、導いてほしい、わかりたい、わからない、もうやめよう、いまのままでいい、でも諦めたくない。
そんなことの繰り返しだったような気がする。
つらく苦しいときもあったけど、ここまでこれて本当に良かった。
様々な出会いに感謝するのはもちろん、私自身にもありがとうを贈りたい。
合わせて、ごめんなさいも。
私という存在をきちんと見ようとせず外に答えを探してばかりだった。
答えはいつも自分の中に在るのにね。
ここまで共に歩んでくれてありがとう。
これからもどうぞよろしくね。
朝日が昇るベランダで一杯の白湯を飲みながら。