設定の完全性

設定の完全性を余り求め過ぎても疲れるだけ、と個人的には思っていて。

例えば『涼宮ハルヒの溜息』のクラブ対抗リレーで走った順番は原作とアニメで異なるし(※1)、分かりやすいところでは『孤島症候群』(『涼宮ハルヒの暴走』収録)でのキョンの妹の参加の有無(※2)。

原作なら原作内で、アニメならアニメ内での無矛盾性を求める方向もあるのだろうけれど、メタな話としては結局のところ人が生み出した作品世界であるし、別の見方をすれば例えば『涼宮ハルヒの憂鬱』と『涼宮ハルヒの退屈』で矛盾があったところで、涼宮ハルヒの影響でないという保証はどこにも無い訳で。

「一期」と「あらためて放送」にしても、前者に 14 話が追加されたのが後者だと思っている人がマジョリティだろうけど、たまたま偶然にも話が連続しているかのように合致しているだけと、三毛猫のオスなら言いそうじゃないですか。


※1 『涼宮ハルヒの退屈』クラブ対抗リレーで走った順番
・原作 : 不明/長門/不明/不明/ハルヒ
・アニメ : 古泉/朝比奈/キョン/長門/ハルヒ

画像1

※2 『孤島症候群』
・原作: キョンの妹は参加せず。
・アニメ : キョンの妹は参加している。
→ このため『雪山症候群』がアニメ化される場合、キョンの妹が原作通り参加するのなら、森さん他とは初対面ではないように描写されるはず。

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