真実は、ふとした瞬間に分かるもの
ふとした瞬間にわかる真実
先日たまたま近所の大きめの神社へいったので、おみくじをひくと、中吉だった
中吉といってもほぼ大吉なのか、細かい運勢はそこまで悪くはなかった
そしておみくじの裏面には「辛さ苦しみ悲しみなどは、いつか乗り越えていけるもんだ」的なことが書いてあった
辛い状況にいるなら、きっと響くものがあるであろう内容
しかし今の私には、全くピンと来なかった
ここでふと、今の自分にはこれといって辛さ苦しみ悲しみがないことに、気づいた
割と本当に、自分は今、好調なんだなと
そもそも私は辛さをあまり抱えないような、図太いタイプではない
根が善良すぎたりピュアすぎるうえ、繊細で傷つきやすい しかも悪目立ちしやすくすぐ嫌われたり・批判されたので、これまでの人生ずっときつかったと思う
でももう、そういう辛い時期は終わったんだなぁ〜と、実感したのである
こういうふとした瞬間に、真実はわかるものである
派手にアピールする時点で「不自然」
思い込みたいだけ
いろんな方のブログ記事を読むのが日常の楽しみで、もう何年も読まさせてもらっているブログもあるが、最近2つほど違和感を感じた記事がある
ここのところ人生が急激に変わって、良い方へいった
神に祈ったら即座に良いことが起きて、これでいいんだって思った
どちらもこんな感じに、「良いことがあった」と書いてあった
なぜ「良い方へ行った」「良いことがあった」と、即座にはっきり「良い」と言い切れるのか?が怪しいと思った
そう思い込みたいだけでは?
このうち1名は浮かれていて、そうやって熱に浮かされている場合、必ずその後その分だけ落ち込むことになるだろうし
もう1名は、ほんの些細な出来事を「素晴らしく良いこと」とみなしていた
この方は、その他に解決しなくてはならない深刻な問題があるのだが、それを見て見ぬふりして現状維持するため、大義名分で「良いこと」があったからこれでOKとしている風に見えた
例えば虐待されている人はなにがあろうと一刻も早く逃げたほうがいいと思うんだけど、少し良いことがあっただけで「このままでいいんだ」と全肯定し、大喜びで虐待されている状態をキープする感じ
しかもその人は、それっぽいスピリチュアルなことも、言い広めている 頭でこねくり回したようなまどろっこしいことをおっしゃっているので、私が思うに、高次元からもたらされる霊的知識ではないことが明白である
つまり偽のスピリチュアル情報である 書いている本人は真剣そのものであるが、これも現実逃避したいためかもとも思う
海王星にやられているひとたち
リアルの知人でも似たケースがあった 「運命的に導かれたので必ずこれでうまくいくはず」と言っていたが、しかし不安でいっぱいの顔していた
ちょっとしたことでもなんでもすぐシンクロしたとみなして、記事にしている人も見かけたことがある 私からしたら「またこじつけてるよこの人」という感じだった
それにシンクロがあったからなんなのだ?
シンクロしてそこに深い意味があったら感動モノだけど、ただシンクロしているだけの報告だった
霊能や占いなどやってる人やスピリチュアルかじっている人たちは、特に思い込み激しい人が多い 有能だったり善良な人でもそうだ
なぜならスピリチュアルも思い込みも同じ海王星マターだから、両方の要素がまたがって出ている場合がある
だからなんでもかんでもシンクロしたとか、ちょっとしたことで良いことがあった・良い変化があったと、こじつけたりする人は一定数いるわけだが
夢を見ているだけである(海王星=夢見モード)
中にはちゃんと現実見えている人もいる
それに私自身も海王星にやられていたから、気持ちはとてもよくわかる
ただし私の場合はn土星ーn海王星スクエアなので、年齢を重ねていくなかで現実モードと夢見モードで行ったり来たりできるようになった
本当に心が満たされていて安定している方は、他者にアピールすることもなければ、ハイテンションな感じでもない 静かに穏やかに微笑む感じだ
ハイテンションの時点で、一時的な高まりの証だと思う
例えば空中浮遊もできるようなチベットの僧侶が、ハイテンションで喜びながら、「人生が突然大変化し、空中にも浮かべて確実に神に愛されてる!自分はこれでいいんだ!」とブログに書かないだろう
(でも上記のブロガーさんたちがもし空中に浮かべたのなら、それは本当に良いことが起きたと、私はさすがに受け止めますけどね笑)
人生が長いこと停滞し、その後にやっと好転していくという経験がないと、思い込んだり・見誤るのも仕方ない
人生が好転するとて熱に浮かされたような状態だと、そのうち落ち込みが来るだろう とはいえ好転が定着していけば、その状態がその人にとって当たり前なので、好転したという自覚はあまりないはずだ
やはり後々になってふと、「そういえば人生変わったなあ」とじんわり感じる瞬間が来るのでは
だからやっぱり、うまくいってることをアピールするように言ってくる人は、なんか違うと思う
好転は段階的にじわじわと
自分の場合
私が今、体験している感じをご紹介する
自分が人間界にアジャストするまで数十年かかったんで、これまでの人生にはずっと辛さ苦しみ悲しみがあったわけだし
今でも、過去の他者からの心無い言動に、悔しさや怒りはあるかも?ね
別に許しているしどうでもいいけど、自分の身を守るため「嫌だと感じる心」も大切だと思うし、2度と被害に遭わないよう物理的に距離を置く必要もある
ではいつ頃、苦しさがなくなって好転していったかと考えると、今年に入ってからだ まだ好転する最中だろうが
数年前に脱サラしてから、変化に次ぐ変化はあったものの、自分が望むような好転はなかなかこずであったが 今年2024年は久々に良い年になったと思っている
いろいろあったものの、獅子座や5h強くて「ドラマティック好き」の私としては、人生にドラマティックな嬉しい展開が起きたことが大きかった それで今年は良い年w
なんといってもn獅子座月のお向かいにt冥王星が来て、割と良い出方を何回かしていて、n獅子座月の表す「最重要欲求」が満たされた
つまり「自分は特別」「自分はいろんな能力やセンスがありキラキラしているからそりゃ多くの人から疎ましく思われるだろうしいじめも多かったんだろう」と、納得することが何回かおきた
2024年に、好転し始めた それでいまは辛さ苦しみ悲しみという言葉にピンとこなくなっている
つけ加えるなら2022年2023年は、「古い世界→新しい世界へ向かう」過渡期だった このころもきつかった
それまで数年ほど安定して続いていた「古い世界」にて、その後も安住したかったんだけど、そこかしこに違和感があったようで
そこから「新しい世界」へと勇気をふりしぼって踏み出さねばならず、とても大変だった
長年にわたる人々との繋がりもたくさん消滅し、いくつかの居場所も葬った
もう良い年なので気力体力的に相当しんどかった記憶だが、しかしそうせざるをえない強制的な導きがあったので、そうするしかなかった
占星術的にはt天王星やt冥王星の動きと関係しているんで、もしも古い世界にそのままとどまり続けていたら、今頃は生き地獄のような悲惨なことになっていた
頑張ってでも新境地を切り開くしかなかったけど、でもそのおかげでその後、好転に向かい始めた
人間関係も構築し直しへ
一時は人間関係も一掃されてしまってどうなるやら?であったが、四苦八苦するうち、本当に私と合うこれまでにない人間関係ができていった
これまでの人生、共感し合える他者というのはあまりおらず、どこかしら思うところがあったり・変な関係だったりしたけど、お互いに響き合ったり信頼できる人たちとつながったり・つながりなおしていった
変容といえば占星術では「冥王星」である
この数年間、SA冥王星やt冥王星がチャートルーラーやライツアングルにアスペクトしていき、私の人生がじょじょに本調子へという段階へ向かった気がしている
霊界曰く、少人数でいいので、私には「心からいつも信頼できる人たち」が必要だそうだ
今思い当たる範囲で、「信頼できる人たち」が何名かいる
2021年終わりに出会い、数年かけて信頼関係を構築していったYさん
2018年に知り合い、2023年春に再会したAさん
2017年に知り合い、2023年夏に再会したZさん
もともと出会っていた数多くの人たちのなかに、すでに信頼できる誠実な方というのはいらっしゃった
あるいはすごく嫌なことがあって、でもそのおかげで最高のご縁へつながった 嫌なことをしてくれた人には、感謝しつくしてもしきれません笑
なかなか合うかも?と思ったのに、いざ少し距離を詰めると違うというパターンもあったし、軽く行動や経験してみることが大切だ
やっと私の波動が、霊的にも人間的にも整ったので、これからも共感できる方が現れやすくなっているようだ
まだまだこれから展開していく
5月に受けたAさんのセッションでは、まだまだこれからチャンスや展開があるらしい まだほんの始まりに過ぎないと思っている
だからちょっとしたことですぐに良い悪いを決めつけず 長い目で見たり大きく捉えていくことが見誤らないコツ
そんなに人生は、すぐに変わるモノじゃないし、そこまでの積み重ねがものをいうと思う