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吉田美奈子『TWILIGHT ZONE』と80年代


1980年の春、大学に入学した私がさっそく向かった場所はjazz研究会の部室だった。とにかく念願のジャズを本格的に始めたかった。ところが誰もいない。ここは勧誘とかないのか、とその閑散とした空気に少々落胆し、近くの部室棟を歩いているとドラムの音が聞こえてきた。そこは軽音楽部の部室で、奥に一人ジョンレノンのような髪型と丸眼鏡の小柄な男が淡々と練習をしていた。

外から少し眺めていると私に気づき、「新入生?中入ってきなよ」と誘われた。おずおずとに入っていくと、そこにはドラム、キーボード、それにギターとベースのアンプ、マイク&スタンド、散乱するシールドと譜面台。後は椅子が二つ、カセットテレコと本棚。中はまあ整理はされていたが、お世辞にも綺麗とは言えないプレハブ棟の狭い一室。もちろん防音もない、エアコンもない。

「楽器、何やってるの?」
「サックスです。これはアルト」
「へえ、かっこいいね。うちでは珍しいよ」
「実は向こうのジャズ研に入部しようと行ったら、誰もいなくて...」
「ああ、あそこはいい加減なんだよ。夜にならないと集まらないよ。それよりボーカルバンドとか興味ある?サックスいないんだよ」
「はあ。誰かのカバーとかやってるんですか?」
「吉田美奈子とか、松原みきとか。達郎もやるよ。洋楽もやるけど今はこの辺のカバー」

高校の時、洋楽ばかり聴いていた。それもジャズかフュージョン系にどんどんのめり込み、吹奏楽部に在籍しながら軽音楽部の友人たちとクルセイダーズのコピーバンドもやっていた。だから、ボーカルバンドは最初あまり乗り気ではなかった。

「まあ、この後練習するから少し聴いていってよ」
小柄でフレンドリーな彼は、そう言うとまたドラムを叩き始めた。

しばらくすると、講義が終わったのか、ベースとギターの男性、そしてキーボードとボーカルの女性が集まってきた。

練習し始めた曲は吉田美奈子の「恋は流星」。ボーカルの女性の声は低音がよく響き、ハスキーで耳に残る。吉田美奈子が大好きだと言っていた。
当時このタイプの洋楽的なサウンドが、日本の音楽界に溢れ始めていた。しかし吉田美奈子は突出していた。バックのミュージシャンたちもジャズ・フュージョン系の人たちばかり。ここのボーカルバンドのメンバーも、インストをやるときはカシオペアとかリー・リトナー、渡辺香津美とかウエザーリポートだそうだ。閑散としていたジャズ研の部室を思い出し、友人も増やそうかと、とりあえずここも入る事にした。

彼は持っていた吉田美奈子のこの曲が入っている『TWILIGHT ZONE』のアルバムをダビングしたカセットを貸してくれた。当時は誰かがアルバムを買うと、カセットにダビングしメンバーに配り、各自繰り返しそれを聴きながら担当楽器のコピーに励むのが通常だった。

さっそく帰ってから通して聴いてみた。素晴らしい。アルバムのサウンド全体が塊としてゆっくりと部屋を包んでいく。そこに彼女のコヨーテのような声が物語を語る。日本のポピュラー音楽界にもこんな人が出てきたのかと驚いた。この見事なコンセプトアルバムを聞きこみ、これらのサウンド、コード進行とリズムでどんなソロができるか考えるようになった。それからは、ジャズ研でジャズの基礎を固めながら、ボーカルバンドでのサックスのソロの入れ方を探し始めた。遊びもせずバカみたいに音楽を聴き練習していた。

今から思うと、私の大学時代はまさにJPOPの本格的な開花と日本のバンドサウンドがようやく海外に追いつき始めた時代だったかもしれない。山下達郎が売れまくっていたのもこの頃。YAMAHAのシンセサイザーDX7を大学生が買い始めたのもこの頃。リズムマシーンが売れ始め、ディスコが流行り始めたのもこの頃。個人的にはジャズのルーツを遡っていく個人的な時間と、今の音を理解し仲間と共有する社交的な時間を使い分けていた。

ゼミと部室とバイトの日々で埋められた大学時代も瞬く間に過ぎていき、就職期を迎えた。夢見る時間は終わったのだ。演奏を録音したたくさんのカセットテープだけが残った。今でもとんでもなく音の悪いそのテープを聴くと、当時の光景を鮮明に思い出す。外の社会などほとんど知らず、狭い閉じた空間で繰り返された濃密な試行錯誤の時間の記憶。当時の部室は既に取り壊され、ない。

某SNSを通じ30年ぶりの再会をしたドラムの先輩は、コロナ期に投稿が途絶えた。周囲に聞いてみたらどうも亡くなったらしい、との事。その後も彼のSNSは未だ削除されず残っている。どんな人生を送っていたのだろうか。あの時、偶然彼に声をかけられなければ、私の大学生活は変わっていたのか。

人の出会いと音の出会いが密接に重なっていたのがあの時代だ。
情報が希少で貴重だった時代。音が大切にされた時代。

今でも吉田美奈子を聴くと、たくさんの記憶が蘇ってくる。作り手と聴き手が一体となって音のコミュニティを育てていく。そして歴史になる。
そんな時代だった。

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