「ふるさと」の秋祭りー美郷町①ー
10月9日~22日。私は島根県の中央にある美郷町にいた。
江の川に沿って点々とある小さな集落のうちの一つに、4か国のボランティアたちが集まり、地域の人たちと協同して秋祭りを運営するのだ。
主な仕事は、「伝統芸能と光の祭典」という祭りの準備である。
竹灯籠や、自分たちでデザインしたオブジェを作る。餅撒きに使う餅をつく。その他にも、お宮や神楽殿を掃除したりした。
当日は、「楽打ち」と呼ばれる太鼓や手すりなどの楽器を演奏しながら地域の中をまわる行事に参加して、深夜12時まで行われる夜神楽を鑑賞した。
この「楽打ち」と「石見神楽」は、この地域で行われる一連の秋祭りの主役といっていい。地域の子供たちは、生まれたときからお囃子を聞きながら育ち、大きくなったら楽器を持って楽打ちに参加する。毎年神楽を見ては、演じられる英雄や役者にあこがれを持つ。
伝統芸能の理想的な継承がここにあった。
「やらなければ」という義務感ではなく、「やりたい」という憧憬によって親から子へと伝統が繋がっていく。この町にある伝統は生きていた。
ところで、私の地元にも秋祭りはある。
私の地元は、兵庫県の中でも播州と呼ばれる地域で、「灘の喧嘩祭り」など祭りが盛んな場所である。秋になると「紙垂棒」と呼ばれる飾りのようなものが地域の各地に設置され、各神社に幟がたつ。これが私の地元の秋の景色である。
しかし、私は小学生の時以来そのような祭りには参加していない。
今年も10月13日に祭りがあったにもかかわらず、島根の秋祭りに参加するという状況である。
友人は毎年学校を休んででも祭りに参加する。青年会に入り、運営もしている。
私と彼の違いは何なのか。
地域への思い入れか、情熱の差か。
伝統の継承の輪に入れていない、地元のために何もしていないという気持ちも少なからず私は持っている。
今回の経験で、私は「ふるさと」を考え直すことができたように思う。
美郷町での祭りが終わった後、「また来てね」という声を聴くたびに、喜びとともに「よそもの」である自分を見つけてしまう。輪には入っているけれど、お客さんなのだと。
「ふるさと」は「来年もまた頑張りましょう」が言える場所だ。
祭りに何度も足を運び、参加することで「また来年」が言えるようになる。
そう考えると私はまだ「ふるさと」がないような気がする。
これは、私だけではないだろうし、現代においてこういった関係性を築ける場所もそう多くはないけれど、私はその候補の一つを今回見つけることができたのだ。
伝統が息づく里山、美郷町
また来年も、足を運んでみよう。