三月の水

「三月の水」という和題のボサノヴァがある。
私は、ボサノヴァに関しては深くを知らないけど、
この曲はとても不思議な歌で、聴く度に惹きこまれる。

この曲にだけ関して少し紐解くと、
作詞者のアントニオ・カルロス・ジョビンは、「イパネマの娘」で一躍有名になったものの、精神を病んで暗闇を彷徨うになった。

芸術家にありがちな自分の音楽性と社会とのギャップとか、
ビジネスとして音楽をプロデュースする側との齟齬や軋轢とか、
そこに増して、彼は自身の人生を悩み、精神科医とのカウンセリングが始まる。

彼は、自分が子供時代に誤って殺してしまった飼い犬のことなど、自分でも触れたくなかった過去の一つ一つを振り返りながら、ヒーリングプロセスへと持ち込み、
未来へと抜け道を探すような歌詞(名詞)を淡々と歌い込んで、この曲を完成させた。

長い彼の苦悩を、こんな数行で書いて申し訳ないが、
雪解け水が川をサラサラと流れるように、重い苦しみが解氷していくのだろうか。

前置きが長くなったけど、
私の所属する短歌結社「水甕」の7月号に載った詠草5首をここに置いておきましょう。

「ボサノヴァ」 シンタニ優子

ハッカ油を数滴混ぜて昨夜の嘘追ひやるスプレー朝を作れり

盃に描かれし緋鯉のゆらゆらと幾たび注ぐ三月の水

『三月の水』のテンポに揺るるまま製氷皿に水を満たせり

三月の水は喉を滑り落ちいつか習つた歌呼び戻す

川岸が語り始める三月の出逢ひと別れをアントニオにも